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料理にワインに競馬に文学。F氏のフランス滞在期


by hiramette

酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 7. 彼女の夢

7. 彼女の夢〜Il suo sogno

 「10年後にフィレンツェのドゥオーモで会おう」

 そんな約束をされことは一度もない。少しイタリアの歌を習っていたということ以外、この国との接点がない僕にとって、フィレンツェは世界史の授業にでてきた有名な観光都市でしかなかった。もしも10年前に、そんなところで待ち合わせをしよう、なんて言われていたら、何を冗談言ってるんだろうと思ったことだろう。あるいは、「ドゥオーモ」っていう名前のピザやさんかなんかあんの、と聞き返していたかもしれない。行くだけでもとんでもないお金がかかるのに、そこで待ち合わせようなんて言われたら、かっこいいとか素敵とかいう以前に、ちょっと待って、何でそんなところで待ち合わせなあかんの、と聞き返していたに違いない。10年前上京して未だ数年しか経っていなかった僕にとっては、例えば、東京タワーで待ち合わせをすることですら一苦労だった。何本もある地下鉄の路線図とにらめっこして、頭を抱えなければならなかった。

 大学に入ってからずっとフランス文学というものを続けてパリに住むようになったから、ヨーロッパはずいぶん身近に感じるようになった。確かにイタリアはその中でも何度か訪れたことのある好きな国だ。けれども、いざ行くとなったら、よしイタリアだ、と気合を入れないと行けないし、特別親近感を感じるわけでもない。現に、イタリアに着くと、パリにいるのとは比べ物にならないくらい緊張する。言葉を流暢に話せるわけではないし、街をよく知っているわけでもない。どこが安全でどこが危険かもわからない。
 
 モモちゃんはフィレンツェを舞台にした恋愛小説を10年ほど前に読んでから、ドゥオーモに一度登ってみたかってん、と言った。イタリア旅行に行くのは、予てからの彼女の夢だったらしい。バカンスにどこに行きたいかという話になったとき、彼女は真っ先にイタリアと言った。僕もイタリア料理が大好きだし、行ったこともあるので少しは案内してあげられるだろうと思った。結局、ベネチア・フィレンツェの旅になったけれど、彼女にとってのメインはやっぱり、フィレンツェだった。ドゥオーモに一度登ってみたい、僕は何度その言葉を聞いたか知れない。

 僕自身はと言えば、ドゥオーモに登ったことが一度だけあった。8年前、双子の兄と来たイタリア旅行で、兄はフィレンツェの美術館を見てみたいといったので、二人はローマからフィレンツェに入った。兄は絵が好きで、実際上手かった。小さいときからよく描いた絵を周りの人に褒められていた。僕は逆に絵は全くだめで、むしろ音楽が好きだった。自分で好きな歌詞を書いたり、友達と音楽を作ったり、歌を歌って聴いてもらうのが好きだった。フィレンツェに来て、ドゥオーモに登ったし、絵もずいぶん見たけれど、僕の頭の中にはさほど印象に残らなかった。それよりも、夜に兄が一人で平らげた「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ」の大きさにびっくりしたのを憶えている。骨付きの400グラムぐらいあろうかという肉の塊を、兄は必死で頬張っていた。せっかく来たんやから食わな損やろ、腹の張った兄は少しのけぞるような姿勢でそう言った。

***

 僕らの泊まっている「カサノーヴァ」の朝食は建物の中心部にある、応接間の横の部屋で食べることになっている。食パン、ジャム、ヨーグルト、チーズ、バター、ハム、オレンジジュース、牛乳、コーヒー。きれいな皿とカップが並んでいて、少し豪華な朝食だ。もともと部屋の数は5、6室しかないホテルだ。僕たちのほかに泊まっているのは夫婦1組と50代ぐらいの女性1人しかいないらしい。食卓ではその女性が一人で朝食をとっている。モモちゃんは、三角に切ったパンを食べながら、蜂蜜の入った紅茶を飲むと、外に出る支度をするといって、先に部屋に戻った。

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 部屋は僕とおばさんの二人になった。外から強烈な陽光が差し込む。冷たいオレンジジュースの入ったガラス瓶の周りには、大粒の汗のような水滴がついている。おばさんは、紙パックに入ったヨーグルトを丁寧にすくって食べていたが、時々僕と話したそうにこちらのほうをちらちら見る。

「どちらから来られたの?」

 彼女がそう聞いてきた。

「日本です」

僕が簡潔に答える。沈黙が続く。僕は沈黙が怖い。何かこちらからも聞いたほうがいいのだろうか。

「あなたはどちらから来られたのですか?」

視線のプレッシャーに耐えかねて、こちらも質問をしてみる。我ながら下手な英語だ。

「アメリカです」

ずいぶん訛りのある英語に聞こえる。あるいは僕の英語を聞き取る能力がないのだろうか。単純な返答を理解するのに2,3秒かかってしまう。

「アメリカのどちらですか?」

父が社会の教師だったからか、いつでもさらに詳しい地名を聞いてしまう。自分が耳にしたことのない町の名前がでてきて、わからなくなってしまうまで。特に、質問することを思いつかないときはいつも、出身地に関する詳しい情報を相手に求める。

「ユタ州です」

と彼女は答えた。頭の中をがさごそといじくって、数年前ソルトレイクシティーで冬季オリンピックが行われましたよね、と言うフレーズを作ってみる。でも僕はウインタースポーツに全く詳しくないので、その話題ではあまりもちそうもない。すると、彼女は部屋の入り口近くの壁にかかっている、大きな油絵を指差した。いつのものなのかはわからないが、17世紀の宮廷風の服を着て、髪の毛をカールに巻いた男の人が、犬と一緒に立っている絵だった。

「ねえ、あの人ジョージ・ワシントンに似ていると思わない」

「はあ」

「たしか、あんな顔をしてたかと思うのよね」

ここはイタリアなのだから、もちろんワシントンであるはずがない。ワシントンの顔も僕にはぱっと思い浮かばない。おばさんは、自分の知っている知識と目の前の絵を何とか結び付けたいようだった。けれども、アメリカの政治家の顔に似ていませんかと言うのは、「あの人徳川家康に似ていませんか」と外国人に聞くのとそんなに変わらない。アメリカの歴史は全世界に知られていて、日本史はマージナルなものだと言うぐらいの違いしかないのだ。日本人は欧米に住んでいると、よくこの種の知識で苦しむように思う。たとえ言葉が話せたとしても、彼らには当然のように共有している文化があって、それを知らない僕たちはいつも蚊帳の外に置かれているような気になるのだ。結局、その拍子抜けしたアメリカ人の質問に答えられないでいると、女性は微笑んで、まあいいわ、大したことじゃないんだから、と言った。

 そのとき、モモちゃんが部屋から戻ってきた。そして、話している僕たち二人をみると、僕の隣に腰掛けた。モモちゃんは高校のとき英語科にいたので、英語を聞き取る能力に長けている。会話に困っていた僕は助っ人の登場を喜ぶ。けれども彼女もフランスに住んで2年になる。自分が話す番になると、関係代名詞以下がフランス語になる。アメリカ人のおばさんは、モモちゃんのフレーズの頭ではニコニコしているが、フレーズが終わるころには眉間に皺を寄せている。

 なんとか話を聞くと、どうやら彼女はフィレンツェに3週間ほど滞在するらしい。実は歌を歌うこととオペラが好きだけれど、夏はオペラがないから見にいけないのよねと、彼女は残念そうに言った。それならば、ヴェローナに夏のオペラ祭があるから行ったらいいんじゃないですか、と僕が言うと、えっ、そんなものがあるの、と驚いた表情で聞き返してきた。

「ええ、毎年夏になると、古代円形闘技場のアレーナで結構盛大なオペラ祭が毎年開催されるんです。ヴェルディとかプッチーニとか結構有名な演目が多いですよ」

正しいのか間違っているのかよくわからないような文法で、そのような意味のことを言ったつもりだった。おばさんは、じゃあインターネットで調べてみないとね、と言うと、私の英語聞き取りにくくてごめんなさいね、と申し訳なさそうにあやまった。

「いえいえ、こちらこそちゃんとしゃべれなくてすいません」

僕も自分の英語力を呪いつつ、恐縮してあやまった。僕たちは、席を立ち軽く挨拶をすると、お互いの部屋に戻った。

 数ヶ月前のことを思い出した。モモちゃんを一度パリのオペラに連れて行ったことがあった。『トスカ』だった。彼女ははっきり面白くないと言った。その日僕はアレルギー性鼻炎で、鼻ばっかりかんでいた。そのたびに前の女性に「静かにしろ」と注意された。僕はどうしようもなくて、周りに非難されないか気にしてばかりいたから、まともにオペラを見ることができなかった。それ以来、もっぱら彼女が行く、オペラガルニエのバレエ鑑賞にだけ連れて行ってもらうことにして、オペラは見に行かないようになった。

 数年前行ったヴェローナのオペラの光景を思い出した。日が沈み、焼けるように熱かったアレーナの石が少しずつ冷めていくころ行われるオペラ。観客はペンライトを照らしてオペラ台本を見る。無数の小さな光が舞台を包む。夢幻的な光景だった。

 けれども、僕はすぐにその残像を消して、リュックサックに水のペットボトルとガイドブック、それにフィレンツェ市街地の地図を入れた。モモちゃんの夢を実現する。なんだか大げさな気がした。けれども、それで彼女が喜んでくれるのならば、僕もドォーモに登りたい。10年越しの夢は僕と実現してほしい。そうすれば、彼女の頭の中のフィレンツェの記憶に僕が少しでも鮮明に写り、残るかもしれないから。Chacun a ses gôuts「人の好みは様々だ」。ふと、そんなフランス語のフレーズが思い浮かんだ。

***


 朝10時半、ホテルのある建物の大きい扉を開けて外に出ると、痛いほどの熱が僕らを包んだ。ここに来る前にインターネットでフィレンツェの天気と気温を見てみたが、日中の最高気温は40度にも達するようだった。僕は上空を見上げる。雲ひとつない青空が広がっている。

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「あおい」という名前を思い出した。モモちゃんが好きな小説のヒロインの名前だ。主人公の青年は、フィレンツェで絵の修復師の仕事をしている。かつて彼は空の絵を描く画家になりたかった。「あおい」という名前はきっと空の色を意識してつけられたのだろう。フィレンツェの青い空を見ながら、彼は忘れようとしても忘れきれない自分とあおいの過去と再び向き合い、そしてそれを修復しようと試みるのだ。

 確かにフィレンツェの空はびっくりするぐらいに青く、少し気を抜くと吸い込まれそうなくらいだった。けれども口数が少なくて華奢なヒロインの「あおい」と違って、夏のフィレンツェの空はうるさいぐらい陽気な青だった。おせっかいな光が僕らを照らす。すべてを暴き出してしまいそうな残酷なまでの青空は、小説の「あおい」とは似ても似つかない。8月のフィレンツェの空は、例えばノースリーブのワンピースから下着が少しはみ出しているような女、グラマーで小さいことを気にしない大胆な女を思わせる。

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 モモちゃんはやはり体中に日焼け止めクリームを塗って、その大胆な女に対抗するようだった。さらに念のために日傘も装備している。僕らは昨日通った中央市場の前を通って、町の中心地に向かって歩く。フィレンツェの街はルネッサンスの頃からほとんど変わっていないという。道は石畳でできている。直射日光を浴びたらひとたまりもないが、通りが比較的狭いので必ず建物の陰ができる。そこを歩いていたらそれほど暑さを感じることもない。僕たち二人は道の暗い部分を探して、ドゥオーモに向かって歩き続ける。人が歩いている。午前中から酔っ払いが教会の前に腰掛けている。牛の臓物、トリッパの煮込みを売る屋台がある。小さいスーパーマーケットがある。今回イタリアに来て初めて、普通の街の日常を見た気がした。ベネチアの風景のほとんどはあまりにも観光化され過ぎたものだった。やはり、フィレンツェに来てよかったと思う。

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 サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の前には長蛇の列ができていた。全部教会に入りたい人らしい。これほど暑いというのに、フィレンツェにはものすごい数の観光客がいるのだと思った。ドゥオーモに登るのも、この入り口かどうかわからない。僕たちはとりあえず列に並んでみることにする。

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 20分ほどして教会の建物の中に入れてもらえた。派手な外観とうって変わって、内部は簡素な空間だった。パリのノートルダム大聖堂や、シャルトルの大聖堂は、内部構造が複雑で、カラフルなステンドグラスに彩られている。ところが、フィレンツェの聖堂は天井が高く、空間が広い。そして無駄な装飾がほとんどない。僕たちは多くの観光客に混じって、天井の絵画を見つめた。天国と地獄をモチーフにした絵画は8年前の印象を僕の中に蘇らせた。

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 モモちゃんは、僕らの入った場所が教会の下部を見る入り口であり、ドゥオーモは別の場所から入るのだとわかると、早く出てドゥオーモに登ろう、と僕を促した。係員の女性にドゥオーモの入り口を教えてもらう。サンタ・マリア・デルフフィーレ教会の尖塔に登るのだから、結局同じ建物の中にいることになるのだが、ドゥオーモに登るには一度教会の外に出て裏手に回らなければならないということがわかった。僕らはいったん教会をでて、ドゥオーモ付近の列に並びなおした。

 僕らの前に、マクドナルドの袋を持った若い学生風の女が2人いた。フランス語で話している。友達同士のようだ。周りの人が自分たちの言っていることを解っていないと思ったのか、それとも単に無神経なのか、大声で笑いながらビッグマックを食べている。ハンバーガーを食べているあいだ、飲み物やフライドポテトが入った持ち帰り用の袋は地面に置いたままで、前の人が進むたびに袋を蹴って前にずらす。入り口に物乞いをするジプシーの母子がいて、その様子を恨むような怒りの目で見ている。

 女たちはそんな周囲の目を全く気にしていない。二人ともノースリーブのTシャツからは肉がはみ出ていて、埃だらけのショートパンツを穿いている。食べ物をこぼしながら前に進んでいく。ハンバーガーを食べ終わると、今度はポテトを取り出して、バーベキューソースを取り出して食べ始める。くちゃくちゃ噛む音が汚らしく、女たちはまるで家畜のようだった。僕たちはフランスに住んでいるから、彼女らの言っていることが解る。一人の女が歴史的建造物に書いてある落書きはフランス語のものが多い、と根拠のないことを言っている。仮にも教会の尖塔に登るのに、このような節度のない待ち方をすることに対して僕は嫌悪感を憶えた。

 無論人にもよるが、フランス人は概してすぐに「権利がない」とか、「それは禁止されている」とか法律を盾にして外国人に強く当たる。にもかかわらず、自分が外国人のときは平気な顔をして、街を汚しながらハンバーガーを食べ、汚い手で教会に落書きをするのだ。僕は、システムを作るのは大好きなのに、実質何も機能していないフランスを思い出した。今きっと世界のいたるところで、フランス人は幸せな長いバカンスを過ごしているのだろう。

 女たちはジャガイモを食べ終わると、ペットボトルを取り出し、中に入っているいる水を全部捨てた。そしてハンバーガーとセットでついてきたコーラをペットボトルに流し込むと、うれしそうにそれをリュックサックにしまった。残りのごみは建物の隅にある市のごみ箱に詰め込んだ。

 僕たちは彼女たちに続いて、ドゥオーモの入り口で入場券を買い、中に入った。さっきの女2人が、中で働く係員に呼び止められていた。肩や背中の肌が露出したままでは教会の内部には入れないと言っているようだった。雨合羽のような黄緑の布を貸すからそれを羽織ってくれと説明している。僕らはその2人に一瞥を与えると、そ知らぬ顔をしてドゥオーモの階段を登りはじめた。

 灰色の暗い階段を、僕たちはゆっくり登っていく。モモちゃんは、結構疲れるな、と息を切らしながら僕の後ろをついてくる。僕は自分の足元だけを見て、一段一段上がっていく。いつも階段を登るときは決して自分の先にある階段を見ないようにしている。あと何段あるか考えると、その膨大さを知って疲れるだけだ。だから、自分が今この瞬間に登らなければならない、目の前にある階段だけに集中する。研究だって同じことだ。あと3000ページ本を読んで、400ページ論文を書かなければならないと思うと、それだけで精神的に疲れる。だから、僕は自分が開いている本の自分の目の前にある1ページ、1行のフランス語に集中するようにしている。

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 暗い階段のなかに、いくつかの小さな窓がある、そこから光とほのかな風が差し込んで僕たちを励ましてくれる。二人は額に吹き出る汗をぬぐい、息を切らせながら、ドゥオーモの頂上目指して歩き続けた。

***

 ドゥオーモのてっぺんは、思った通り狭かった。息切らせ汗をたらした観光客が、ようやく得られる休息を満喫し過ぎているせいか、かなり多くの人が長時間ここにいるようだった。小さい広間ぐらいしかないその空間からは、フィレンツェの街がすべて見渡せる。道を歩いていると、石造りの家並みしか見えなかったが、こうして上から見ると、オレンジ色に統一された屋根が見渡せる。青い空に、オレンジ色の屋根。コントラストが美しい。確かに絵画的な美しい街だ。いくつもの時代を経て、人々がこの変わらない景色を目にし続けてきたのだと思うと、やはり歴史の深さを感じずにはいられない。僕はモモちゃんにカメラを借りて、360度分の景色を撮ろうと一周する。北西にはロレンツォ教会、サンタマリア・ノヴェッラ教会や駅が見える。南のほうにはアルノー川や、パラッツオ・ベッキオがある。有名なポンテ・ベッキオやウフィッツィ美術館もこっちのほうだ。そして南東にはサンタクローチェ教会が見える。僕は再びオレンジと青がなす風景をぼうっと眺める。建物に日光が指して光っている。パリでは青空は貴重なものだけれど、この街には一年中光が降ってくる。確かにオレンジと青の対照をなす風景は、情熱と冷静を連想させる。不思議な景色だと思った。

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 モモちゃんは、目的地に着いて感動したというよりはむしろ、夢を実現することによって逆に冷静さを取り戻したようだった。そして一言ここ意外と狭いな、と言った。僕は、自分でも何のことかよくわからないまま、まあそんなもんやよ、と答えた。折角やから記念写真とろうよ、と二人で写真を撮ってくれそうな人を探していると、日本人の青年が、僕たちの様子を見て撮りましょうか、といってくれた。少し高所恐怖症気味の僕はできるだけ柵に近づかないように、外を見ないようにして笑顔を作った。モモちゃんは、なんやそんなもん、なんにもこわないやん、と僕を笑った。

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 写真を撮ってもらったあと、僕たちは柱にもたれかかって外の景色を見つめていた。僕は寝転がって上空を見つめていた。こんなところで一日中、昔付き合っていた女を待っていた小説の主人公はどんな気持ちだったのだろうか、と考えた。そして、何も10年とは言わないけれど、何年かに一度、この場所に来るのも悪くないなと考えた。たとえ普段考えがすれ違うことがあっても、またこの場所に来て二人同じ気持ちに戻れればいい。そして、僕の中にモモちゃんの声が生きていて、モモちゃんの中に僕の声が生きていることをお互い確かめ合うことができればいい。幸福とはきっとそういうことなのだから。

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 おながか鳴った。小説のように一日何にも食べないでこんなに暑いところにいたら腹が減る。さあ、降りておいしいもんでも食べに行こか、僕はそうモモちゃんを促すと、立ち上がって座っている彼女の腕を引っ張った。


バックナンバーはこちらから。
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 1. 僕の夢
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 2. 解放と警戒
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 3. のどかな午後
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 4. ぼったくり
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 5. 一日中、海を見ている暇はない
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 6. 偶然の幸福

Nanetteちゃんが綴るRossoはこちらから。
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 1. 彼の夢
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 2. 解放と警戒
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 3. のどかな午後
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 4. ぼったくり
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 5. 一日中、海を見ている暇はない
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 6. 偶然の幸福
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 7.彼女の夢

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by hiramette | 2009-09-22 05:24 | 小旅行