料理にワインに競馬に文学。F氏のフランス滞在期


by hiramette

凱旋門賞カウントダウン


 みなさんこんにちは。素ではお久しぶりのF氏です。いつも『酩酊と饒舌のあいだ』をお読みいただきありがとうございます。次回からはフィレンツェ編です。

 さて、今日はしばらく書いていなかった競馬のお話をさせていただきます。というのも、最近結構重大なニュースが多かったからです。しかも、凱旋門賞はもう2週間後に迫ってきています。今日はさまざまなニュースの中から、特に大きなものを、僕の個人的な見解も含めていくつかご紹介いたします。


①スミヨン、アガ・カーン優先騎乗契約解除と、その直後の骨折

これにまずものすごく衝撃を受けました。言わずと知れた天才騎手スミ子(Christophe Soumillon)さんが、ナンシー(Nancy)というフランス東部の街で行われた競馬の第7レースで、落馬骨折しました。一時は意識がなかったそうです。幸い大事には至らず、一時は今季絶望とも言われましたが、2ヶ月ぐらいで復帰できるかもしれないという楽観的な説もあるようです。
 実はスミ子さん、言動の失敗(ファーブルさんなんてちっちゃい人事件=自業自得)でつい最近にアガ・カーンの馬騎乗の座をルメさんことクリストフ・ルメール(Christophe Lemaire)騎手に奪われたところ。彼にとっては大変つらい一年です。僕個人としては、スミヨンは問題起こしまくりだけど、間違いなく天才騎手。文学でいうところのランボーちゃんみたいなもんです。彼がいないと競馬場が盛り上がりに欠けて寂しいです。一日も早く元気になってターフに帰ってきてください。そして以前より強くなった彼の姿を見せてください。がんばれスミ公!


②エリュージブ・ウェーブちゃんムーラン・ド・ロンシャン賞イヤイヤ事件

 プール・エッセイ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)を制した、ルジェ厩舎所属の3歳女の子エリュージブウェーブ(Elusive Wave)ちゃんが先日のムーラン・ド・ロンシャン(Prix Moulin de Longchamp G1)賞に出ました。が、ゲートを出るときイヤイヤして出遅れ、今度は2メートルほど進んでペタンと座り込み。一番人気にも拘わらず、「あたしてこでも動かんで」とレースを拒否。ルメ兄さんも困り顔。せっかく能力のある子なのに。おかげでノーリーズンのとき並みに数秒で大金が吹っ飛びました。競馬は何が起こるかわかりません。ともかくも、再発するような精神状態ではないことを祈るばかりです。上の記事でも書きましたがルメさんは、来年から緑に肩赤の勝負服でおなじみの、アガ・カーンさんの馬に乗ります。でも正直これがいいのかどうかはわかりません。ルジェ厩舎も、今年本格的にG1級をたくさん勝てるようになってきたのですから、来年の勝負の行方はわかりません。


③ダレミちゃん事件

 僕はルメさんを応援していました。彼は勝ちました。しかし、はっきりいって僕は怒っています。フランスギャロに対してです。あんなおかしいレース、今まで競馬を見てきて初めてです。周りは僕と同じ考えの人ばかりです。それを証拠に、スタセリタちゃんの表彰式では大ブーイング。競馬場に40年来ている人が、さすがにここまで非難が出るのは初めてだといっていました。
 レースに勝ったのは、間違いなくダレミ(Dar Re Mi)ちゃんです。しかもすばらしいレースでした。2着のスタセリタ(Stacelita)ちゃんも休み明けなのに、すばらしい走りでした。オリビエのプリュマニア(Plumania)ちゃんは凄まじい追い込み。今年見たレースの中でもかなり好レースだったのではないかと思います。このように馬がすばらしい走りを見せてくれ、感動を与えてくれているのに、人間のつまらないエゴで結果が変えられるなどということがあっていいのでしょうか。ダレミちゃんが一生懸命走って、帰ってきたときの緊張した顔を僕はじっと見て、心からおめでとうと叫びました。それが15分後に進路妨害で5着に降着になったのです。
 確かにダレミちゃんは内によれました。でも、他馬と接触したわけではもちろんないし、後ろの馬がスピードを急激に落とさねばならぬほどの、ポジションチェンジではありませんでした。そもそも、このレースはダレミちゃんとスタセリタちゃんの壮絶な戦いだったのであって、他の馬はどれだけ伸びたってその二頭には届いていません。直線のビデオを何回も何回も見ました。そう断言できます。
 ダレミちゃんがイギリスの馬だから?誰かの陰謀?どんな政治が裏にあるのかは知りませんが、僕らは美しいレースを見に来ているのです。泥臭い人間のエゴや金儲けなんかに興味はありません。
 今日の『パリ・チュルフ』紙の一面の見出しは「ダレミ、強盗の犠牲者」でした。ブラボー記者さん。その通りです。「恥さらし」とも書いていました。辛辣だけれど、そう言われても仕方ないと思います。
 誤解のないように言っておきますが、この場合馬はもちろんのこと、騎手、調教師は何も悪くありません。1着に繰り上がったルメさんはある意味ラッキーだったわけだし、祝福したいです。でも、こんなことをG1、しかも凱旋門賞の前哨戦でやるようでは、ブエナビスタちゃんこなくてよかったね、と皮肉をこめて言わざるを得ません。一生懸命走った馬に、体調を管理し作戦を考えた調教師に、毎朝働いた厩務員さんになんと言うつもりなのでしょうか。その点JRAのレースは公正ですばらしい。その点では世界一だと思います。もし、ダレミちゃんが凱旋門賞に出たら、僕は間違いなく彼女を応援します。がんばれダレミちゃん!エリ女かジャパンカップにも来てほしいくらいです。


④ヴィジョンデタちゃん追い切りのノリ

 凱旋門賞の前哨戦が他にも2つあった9月13日の日曜日。3歳のニエル賞は、パリ大賞覇者のキャバルリーマンちゃんが勝利。凱旋門行きです。4歳以上フォワ賞。オリビエ騎乗のヴィジョン・デタちゃんの応援でしたが、サンクルー大賞を制した、初代ゲートイヤイヤちゃんスパニッシュムーンちゃんに四分の三馬身差で負けました。でも、F氏は全く悲観していません。最後の直線の伸びは素晴らしかった。はっきり言って、前哨戦ではなく追い切りみたいなもんでした。しまい2ハロンぐらいしか力は出していません。これぐらいでいいのです。無理して凱旋門に出場すらできなかったマンデューロちゃんを思い出してください。


⑤アントニー・クラスチュス(Anthony Crastus)騎手日本へ
 
 最後におまけ。今年から、眉毛男ことクラスチュスくんが、日本で騎乗します。11月~1月末までの予定で藤沢先生のところらしいです。まだ24歳の若手騎手ですが、ヴィルデンシュタイン厩舎の専属騎手です。現在680ほど騎乗して67勝ぐらいだったでしょうか。ルメさんの下のリーディング8位だったと思います。それに対して、今年はオリビエが日本に行かないかもという話が出ています。詳しくは本人に聞いてみないとわかりません。わかり次第またあらためてご報告いたします。

それでは引き続き、イタリアの旅をそうぞ♪

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# by hiramette | 2009-09-15 04:55 | 競馬
5. 一日中海を見ている暇はない
〜Non abbiamo avuto il tempo di vedere il mare durante tutta la giornata

リド島は、ベネチアから船で一時間ほど離れた小さな島だ。一時間といったら遠く聞こえるかもしれないが、ゆっくり各駅停車の水上バスで行くので、さほど遠くない。僕たちは、遅い朝食のあと、船に乗り込んでリド島にやって来た。11時過ぎの船に乗ったので、今は正午ぐらいだろうか。15時43分発のユーロスター・イタリアでフィレンツェに向かわなければならない。海を見たいと思ってやってきたものの、ゆっくりしている暇はない。海岸に向かって真っ直ぐ歩く。

島は細長く、南北には1キロ少しぐらいの幅しかないようだ。僕の地図の見方が正しければ、真っ直ぐ歩くだけで海岸に着くはずだ。船着場近辺は旅行客でにぎわっていて人が多かったが、少し歩くと人気の少ない通りになる。相変わらず日が強く照っている夏日だ。でもベネチアは海風があるので外を歩いていても、そんなに熱くは感じない。モモちゃんは日傘を差しながら、ゆっくりと道を歩いている。

しばらくすると、大きな道に出る。オレンジ色のバスが走っている。本島の道は狭すぎてバスなんて走っていなかったので、船ばかり乗ってきた僕たちには新鮮に思える。この島と本島は繋がっているのだろうか。

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大きな道を渡ると、そこは絵に描いたようなロングビーチだった。八月下旬にも拘らず、夏真っ盛りのような光景が広がっていた。数々の小屋が建てられている。おそらくは、この海岸を利用する人が一時的に休憩するのに作られたものなのだろう。砂浜が続いている。その先には乳白色の海が見える。タバコの吸殻が浮かんでいるムラーノ島の海や、生活廃水で濁った本島の海と違って、ずいぶん清潔な海に見えた。

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モモちゃんは、泳いでいる人を見ると、急に子供のようにはしゃいで、履いていたサンダルを脱ぐ。そして、波の方へとゆっくり歩いていく。いつも日焼けすることを気にしているのに、今は目の前にある景色に夢中になっているようだ。

「ああ、みんなめっちゃ楽しそうやな。水着持ってきたらよかったな」

僕は少し後悔した。モモちゃんの指導教官の仏文学者がベネチアの海は泳げたものではないというのを鵜呑みにしてしまって、スーツケースに水着を入れてこなかった。でもよくよく考えれば彼はカリブ海のグアドループ島の出身だ。ヨーロッパの海は全て汚く見えるのだろう。

僕もテニスシューズを脱いで、足を水に浸けてみる。砂浜には割れた小さい貝殻があって、結構痛い。僕たちは柔らかい砂場を探しながら、海岸を歩いていった。ここには様々な人がいる。砂の城を作っている子供たち。ビーチサッカーに打ち興じる青年。寝転がって体を火に焼きながら、本を読むおばさん。トップレスで寝ている女性。その風景は例えばノルマンディーのドーヴィルのように寂しそうではなく、ニースのように整備されているわけでもなく、バルセロナのようにど派手でもない。適度なのどかさがあって、僕たちを優しくしてくれた。柔らかい波が時折僕たちの足元を冷やす。ここにいられるのも今日が最後だけに、海水に触れるたび、足の感触を忘れないでおこうと思った。

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ももちゃんははしゃぎながら、スカートを捲り上げて歩く。白い肌が、水色の景色に映える。その姿は子供のようでもあり、妹のようでもあり、恋人のようでもある。力強い笑顔で、しばしばこちらに振り返る。そのたびに僕は何度もシャッターを切った。いつもは少しこわばった表情をするのに、今日は自然な笑顔をしている。僕は久しぶりにそんな彼女の顔を見れたと思った。ベネチアの海と太陽に感謝したくなる。

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真っ直ぐに海岸沿いを歩いていく。波が打つたびに、僕たちの足跡は消えていく。けれども、僕たちはそんなこと気にしないで前に歩く。もしかしたら、一日一日生きることを大切にするとはこういうことなのかもしれない。消えていく過去の足跡なんか気にしないで、足元をしっかり見ながら一歩一歩着実に進むこと。行動は地味だけれど、それでも僕たちは進んでいる。

「もう一日おりたかったな、ベネチア」

僕がモモちゃんに向かって言う。

「ここ、思ったよりも悪なかったわ」

モモちゃんも少し残念そうな顔をする。二人は少し浮かれながら、この場所にいられる幸福感を噛みしめている。例えば今後、もしもつらいことがあったら、僕はこの空間を思い出そうと思う。いつ行ったのか、時間は忘れたとしても、僕はこの空間の光景、モモちゃんの顔を、自分のレンズの中に焼き付けておこうと思った。

昼食をとって、急いで船に乗り、ベネチア、サンタルチアの駅前で降りると、ホテルにおいてあったスーツケースを取りに行く。ベネチアの2日間は短かくて満喫できたかどうかはわからないけど、結局きてよかったと思う。モモちゃんもそう思ってくれたようだ。それを証拠に、結局見つからなかったお菓子「パネトン」がクリスマス限定で売り出されるものだと知った彼女は僕にこう言った。

「コロちゃん、またパネトンが出るクリスマスの頃にベネチアに来ようや」

二人はベネチア・サンタルチア駅から、フィレンツェ・サンタマリア・ノヴェッラへ駅へと向かう。



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酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 1. 僕の夢
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 2. 解放と警戒
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 3. のどかな午後

Nanetteちゃんが綴るRossoはこちらから。
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 1. 彼の夢
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 2. 解放と警戒
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 3. のどかな午後
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 4. ぼったくり
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 5. 一日中、海を見ている暇はない

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# by hiramette | 2009-09-13 23:47 | 小旅行
4.ぼったくり〜Bottakuri

旅行に出る3週間前から、夕食はどこで食べようかとガイドブックとにらめっこしていた。「食べる」ということは僕にとって、歴史的建造物を見るよりも、美術館に行くよりも重要なことで、その場所で食べたものに感動したかどうかでほぼ旅行の良し悪しがきまる。皿の色、料理の匂い、ワインの味が美しい風景に匹敵するのだ。パリにいる文学仲間は、作家のゆかりの場所に行きたいといい、美術をする人は美術館に、音楽家はコンサートに行きたいという。けれども僕はそれらに行くお金をけちってでもおいしいものを食べたい。本能がそう呼びかけるのだからどうしようもない。必然的にエンゲル係数が高くなる。

今回の旅行中、どこで何を食べるのかを決める担当だった僕は、失敗しないようにガイドブックを入念に読んだ。サンマルコ地区にある「アルモンドヌォーヴォ」はコースが25ユーロ。ガイドブックに乗っているベネチアのレストランの中では一番安かった。毎日漁師から仕入れるアドリア海の魚が自慢だそうだ。予想される味と値段を考えて、ここが一番よさそうだということになった。

ムラーノ島から帰ってきた僕たちは、汗ぐっしょりだった。夕食をとるまでにまだ少し時間があったので、一旦ホテルにチェックインし、シャワーを浴びてから夕食に再出発することになった。といっても、モモちゃんは少し胃が痛いというし、僕も昼ごはんがまだ残っていて、空腹感がない。とりあえずはシャワーを浴びて、ホテルの涼しい部屋で寝転がってみたものの、そのまま寝るわけにもいかないので仕方なしに外に出ることにした。僕たちの探すレストランはサンマルコ広場の近くにあるので、歩いたら結構な距離になる。歩いているうちにお腹がすいて、おいしい魚が食べられるようになればいいと思った。

僕たちは、ホテルからまた細い道を歩く。今度は、きちんと地図で自分たちのいる場所を確認しながら。夜は少しずつ更けていく。パリよりも南に位置するベネチアに夜が訪れるのは、ずいぶん早く感じられる。石畳の道が少しずつ陰りをみせる。運河は夜の光を浴びてきらびやかに輝いている。地図上どこを歩いているかは解っているつもりだけれど、暗さが僕たちを少し不安にする。モモちゃんの手を少し強く握る。

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探しているレストランに近いはずの、狭い通りを歩いていると、午前中歩いているときに見た怪しいレストランがあった。昼同様、ずれた調理帽を被った男が客の呼び込みをしていた。少年漫画に出てくる悪者のような顔をしていた。目は細く精彩がない。鼻と唇は大きく浅黒い肌をしている。小太りで背がずいぶん小さい。口だけはにこやかなのに目は全然笑っていない。パリでこの手のレストランを見つけたときは、まず気をつけたほうがいいことをわかっている僕たちは、通り過ぎようとした。しかし、念のために店の看板に目をやると「アルモンドヌォーヴォ」と書いてある。そこが僕たちが目指してきたレストランだった。

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僕はびっくりしてガイドブックに目をやる。客引きはここで間違いない、と言いたげな片言の日本語で僕たちを中に案内しようとする。いや、ちょっとやばそうやでこれ、と僕はモモちゃんにいう。そやな、ちょっとあやしそうやな、彼女が眉間に皺をよせる。しかし、ガイドブックに書かれた店は明らかにここだった。今まで、様々なぼったくり被害の話は聞いたことがあるけれど、さすがにガイドブックに載っている店で騙されたという話は聞いたことがない。その手の本は基本的に犯罪にあったり、不正な料金を取られないための情報が掲載されているはずだからだ。二人は顔を見合わせた。このレストランに来るために、わざわざ20分ほど歩いてきたこと、もう夜八時を過ぎていることを考えると、他の店を探すよりやはりここで食べるのが妥当なように思われた。まあ、とりあえず入ってみるか、僕たちはそう言いあうと、小男に誘われるがままにレストランの中に入った。


***


 店内は意外と広かった。デザートや魚が置いてある細長い通路を歩いていく。テーブルはいくつもあるが、客は全然いない。その先は大きな空間になっていて、たくさんのテーブルと椅子が並べてある。そこは部屋と中庭の中間のような感じだった。天井がなく、生い茂り、何重にも絡み合った木の蔓が屋根代わりになっている。といっても隙間から空が見えるので、雨が降ったらどうするのだろうと思った。地面は石畳でできていて、机も椅子も少し斜めに傾いていてなんだか頼りない。それでも客がちらほらいて、特に不満な様子もなく食事をしていたので僕たちは少し安心し、古い木の椅子に腰掛けた。

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僕の視線の先、壁には50センチほどの聖人像が飾ってある。おそらくは木の彫刻に彩色したものだ。イタリア人は敬虔なクリスチャンが多いと聞く。僕はキリスト教に詳しいわけではないけれど、彼らが神を信じているならば、さほど罪深きことはしないだろうと思った。聖人は無表情のまま僕の顔を見ている。ずっと見られ続けているような気になって目を伏せる。

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とりあえず食前酒はいかがですか、と若い黒人のウェイターが尋ねる。僕はずっと「アペロル」というオレンジのリキュールを飲みたいと思っていたので、それを頼む。モモちゃんも一度飲んでみたいということで同じものを頼んだ。

すぐにきれいなオレンジ色の透明な液体が運ばれてくる。数年前にヴェローナで飲んだアペロルに違いなかった。しかし、見たところ以前飲んだものの方が色が濃かった気がする。小さい解けかけの氷が2つ浮かんでいる。一口飲む。ほとんど味がしない。モモちゃんの顔を見る。少し俯きながら申し訳なさそうな顔をしている。自分の飲んでいるもの食べているものが好きではないときにする顔だ。眉間に皺を寄せている。このレストランに抱いていた疑念が、少しずつ確信に変わっていく。

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味気ない食前酒をちびちび飲んでいると、背の高いタキシードを着た給仕係がメニューを運んできた。この男も一見紳士を装いながら、どこか胡散臭さを感じさせる。それを証拠に、ケースに入っていた魚を持ってきて、高い料理ばかりを説明する。どこの日本人に習ったのかは知らないが、魚介類を指差しながら片言の日本語を話す。

「コレワ、スズキ、コレホタテ、コレエビ、コレタイ」

何かの呪文のような言葉に従って、メニューにある魚料理を探す。スズキ32ユーロ。ホタテ38ユーロ。オマールエビ45ユーロ。タイ34ユーロ。高すぎてとても手の出る金額ではない。

外国のことを知らないまま新婚旅行で来たのなら、ああ、この人日本語をしゃべってくれるのか安心した、と思うかもしれないが、こちらは長年フランスに暮らしているから、どういう顔を信じてはいけないかは心得ているつもりだ。僕は向こうの誘いにできるだけ乗らないようにしようと小さく決意する。とはいっても、もしかしたらいいレストランなのかもしれないという期待も拭いきれないでいることは確かだ。ガイドブックがわざわざそんなに悪いレストランを載せるはずがない。

「魚は要りません。まず魚介の前菜の盛り合わせを一つ。これは二人で分けます。それから、そのあと彼女にイカ墨のスパゲッティー、僕に手長エビとアサリのスパゲッティーをください」

とりあえずベネチアならではの魚介のスパゲッティーを頼んだ。実際イカ墨のスパゲッティーを食べることはかねてからの楽しみでもあった。できるだけ迷うそぶりを見せずに淡々と話す。その方が向こうの流れに乗らなくて済むからだ。何かを勧められて無言の時間が長くなればなるほど、向こうの術中にはまる確率が高い。隙を見せてはいけない。

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「かしこまりました。飲み物は?」

笑顔ですかさず訊いてくる。僕は魚介類にあう白ワインを少し飲みたかったが、「おまかせ」するのは怖い。とりあえずワインリストを見せてくれと頼む。もらったメニューを見ると、案の定ずいぶん値段が高く設定されていることがわかる。しかも給仕の男は一番高いワインを勧めてくる。ローマ近辺で作られた白ワインがハーフで38ユーロ。フランスのワイン専門店で超高級ワインが一本買える値段だ。レストランといえど高すぎる。結局ピノ・グリというブドウの品種でできたハーフボトルを頼むが、それでも19ユーロだ。パリでもそこまで高くない。夏のベネチア価格は限りなく詐欺に近いと思った。僕はメニューから顔を離し、再び聖人像を見上げる。頼り無さげな彼は、余り助けてくれそうにない。

背の高い給仕係が白ワインのハーフボトルを運んできた。注ぎ口を右手でつかむとそれをまわす。プチっという音とともに瓶が開く。驚いた。普通はコルクを抜かなければならないからだ。ところが、このワインは酢やオリーブオイルの瓶に使うような金属でできたキャップで栓をしてある。給仕係はそれを開けると平然とした表情で僕に注ぐ。フランスでこういうワインがあったら、まず間違いなく安物と見ていい。つまり僕たちは、安物のハーフボトルのワインに数倍のお金を払わされているわけだ。僕たちはここでやっと確信した。この店はまずい。

運ばれてきたスパゲッティーも、その確信を裏切らなかった。不味くはないが、決しておいしくはない。僕の頼んだ魚介のパスタには手長エビとアサリが入っていたが、エビは弾力がなく、アサリは少し風味が劣化していた。モモちゃんのイカ墨のスパゲッティーも具はほとんどなく、墨も市販のペーストを使ったのではないかという気さえしてくる。疑いが不信感を呼び最後に不満になる。「アルモンドヌォーヴォ」はイタリア語で「新世界」。けれどももちろんそんな所には行きたくない。

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今まで頼んだ分を計算してみる。食前酒の値段が載っていなかったのが怖くなる。一人25ユーロだった計算が、もう40ユーロ近くなっている。これから、どれだけ誘惑されても、もうこれ以上頼まないでおこう、と僕らは改めて確認しあう。すると例の呼び込みの小男に連れられて、入ってくるカップルが見える。僕はかわいそうに、と目を伏せる。

「そやけど、この店ひどいわ。25ユーロなんか大嘘やん。ボッタクーリやな」

僕がイタリア語の発音を真似てそう言うとモモちゃんが笑いながら加勢する。

「ほんまやな。クソッターレやわ。」

正確に言うとぼったくられたわけではないのかもしれない。しかし、料理に見合わない金額を支払わされたことは確かだ。黙って支払い出て行くのが悔しくって、僕らは彼らのわからない日本語で文句を言う。そうでもしないと気がすまないからだ。一度火がつくとどんどんエスカレートしていく。イタリア語っぽいイントネーションで、大げさな身振りをして、大声で僕は話す。

「イタリーアノ、ボラレーノでマンマミーアのセンプレ、ムカツキッシモやわ。オマエーラにダマサレータ、ボッタクーリやからクソッターレでカネカーエセ」

マンマミーアなど、相手がわかりそうな表現をわざと入れて少し周りの気をひいてみる。お酒が入っているので、歌うようなリズムで話すのが楽しい。モモちゃんは大笑いしていたが、周りの人が僕たちを見ているのに気付いたのか、時々声の大きすぎる僕を制した。

どれだけ大きな声で騒いでも、それは犬の遠吠えに過ぎなかった。デザートを断り、食後酒を断り、コーヒーも断ったにも拘わらず、前半の注文が響いて、僕らはやはり予算以上のお金をとられてしまった。「盗られた」と言ったほうが正確かもしれない。とはいっても、レストランの作戦もあまり上手く機能しているようには見えなかった。いちいち現物を持ってきて見せるこの勧め方が怪しいと思ったのか、周りの客のほとんどが勧めを断っていた。そのたびに、給仕係たちはつまらなさそうに目を見合わせ、持ってきたデザートや食後酒のサンプルをまた冷蔵庫の方に片付けるのだった。

中にはパンが乾いていて古いから替えろ、という客までいた。それが周りの客に聞かれ、注文に悪影響が出ると思ったのか、給仕係は強い口調で応戦していた。僕は朝歩いているときに見た、ベネチアのカーニバルの仮面を思い出した。一見きらびやかに見えるこの街も、きっと仮面を被っているに違いなかった。EU諸国に新しい通貨ユーロが導入されて数年。物価が高くなって、きっとどこも大変なんだろうと思った。外国人観光客が落としていく金に依存せざるを得ない状況を考えたら、素直に笑えない気もした。

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レストランを出ると僕たちはまた来た道を引き返し、リアルト橋から船に乗った。無数の豪奢な光が河の両岸に連なっている。ほとんどがホテルかレストランだ。光は川面に映し出されて伸びるようなきらめきを見せている。僕は揺れる船からそれを見ていた。揺らいで不安定な光は、船が作る水のうねりに今にものみ込まれてしまいそうだった。大きなモーター音を鳴らして進む船の揺れに身を任せながら、この頼りない光を見ているうちに、レストランであれほど饒舌だったはずの僕はすっかり無口になってしまった。

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# by hiramette | 2009-09-10 02:53 | 小旅行
3.のどかな午後〜Un pomeriggio quieto
 
なかなか海は渡れなかった。船着場の方に向かうはずが、歩いても歩いても海は見えない。余りにも道が細く曲がり角が多く、その先に何があるのかは、実際曲がってみないとわからない。結局、どこを歩いているのかもわからなくなっていく。

けれども、この道に身を任せるのも悪くはない気がした。ここに行って、次にそこに行って、それからあそこにも行く、という旅行は確かに効率よく回れるだろうけど、気疲れもする。出張のような旅行をするよりも、バカンスらしいのんびりした午後を贅沢に過ごしたい。それに、フィレンツェに行ってからは行くところをもうたくさん決めてある。ここベネチアで目的地があってないような午後を楽しむのもいいだろう。

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歩いていくうちにどんどん汗が出てくる。それと同時に、昼間に飲んだワインも体から少しずつ抜けていく。浮遊しているような感覚が、一歩一歩石畳を踏みしめるような感覚に戻っていく。少しずつ重力を取り戻していくような感じ。モモちゃんは相変わらず黒い日傘を差している。僕はとなりでその傘の先に当たらないように気を配りながら歩いていく。

「エノテカボルドリン」を出てしばらく歩いていると、ジェラート屋さんを見つけた。モモちゃんが食べたいと言う。僕はさっきの店で、残っているものも全部食べたので、さすがに食べる気がしない。そう彼女に告げると、小さいやつにするわ、といってカウンターのおじさんのほうに近づいていった。ティラミス味のジェラート。なかなか濃いものを選んできた。女の子のお腹は不思議だ。もうお腹いっぱいという台詞のあと、平気で甘いものを平らげる。それは、後に食べる甘いものも考慮したうえでの「お腹いっぱい」なのだろうか。モモちゃんは嬉しそうにジェラートを食べながら、一口要る、と僕に尋ねる。僕のお腹はそれほど消化がよくない。時々彼女がうらやましくなる。

そこから、僕たちは広い通りに出た。昼食を食べる前に通った人気の少ない通りとは打って変わって、またみやげ物店の多い、にぎやかな道を歩く。絞りたてのジュースを売っている出店や、日傘と帽子を売っている売店の前を歩く。モモちゃんは、フランス映画で見た「パネトン」という名前のお菓子を見つけるんだ、といってパン屋さんを通るたびに、パネトン、パネトンといいながらガラス越しに並んでいるパンを眺める。オリーブの実がたくさん入った巨大なパンを見て、また僕は満腹になる。

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やっと運河が見え、水上バスの駅が見えた。僕たちはそれがムラーノ島へ行く船の停留所なのかどうかを案内図で確かめてみる。確かにムラーノには行くが、僕たちのいる場所は朝降りた鉄道駅のすぐそばだ。知らないうちに僕たちはベネチアを一周してしまったわけだ。もう午後の三時を過ぎている。あいだにはさんだ昼食を除いても、5時間近く歩き続けたことになる。

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僕たちは、船を待っていた。停留所は陸ではなく、プレハブ小屋のような建物が河の中に浮かんでいる。疲れていたのでそこにしゃがみこむと、足元からぐらっときて、僕の体も停留所にあわせて揺れるのがわかる。船が近づいてきた。揺れがさらに大きくなっていく。船が停留所と接触するおとが、ごっ、と鳴る。接触というより衝突という感じだ。こんなんで大丈夫かな、と少し心配になる。

本当は、停留場で一日券を買いたかった。ベネチアは明日の午後に出るので、丁度いい計算だった。でも、停留所は無人で自動券売機すらなかった。船が停まると、急いで縄をかけたり、扉を開けたりしている車掌さんらしき制服を来た女性に、中で券が買えますか、と聞く。はい、と女性は頷く。一日券は?女性は首を横に振る。僕らは顔を見合した。でも、ずっと待っていても仕方ないし、他の停留所までまた歩くのは疲れる。こうして、僕らは船に乗り込んだ。

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緑色のチケットにはACTVと白い字で書いてある。汽船会社の名前だろうか。その下には曜日と日付、時間を表す表があって、車掌はそこに穴を開けた。8月、25日、15時、15分。4つの小さい穴が開く。これから一時間有効のきっぷ。6ユーロ50。確か一日券が18ユーロほどだったから割高な感じだ。ついつい値段を見て細かい金勘定をしてしまう。水上バスは唸るようなエンジン音を出しながら、河の中を進んでいく。しばらくすると海に出た。小さな窓から入って来る潮風を少しだけ浴びながら、60人乗りほどの小さな船はムラーノ島へと向かう。

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***


島に着くと、ベネチア本島のミニチュワのような風景が広がっている。川沿いに店が立ち並んでいるが、のどかな感じだ。ただ、みやげ物屋よりは本格的なガラス工芸品を置く店が多い気がする。店内も本島よりも高級な感じがする。

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僕たちはみやげ物が欲しいわけでもないのに、いろいろな店に入った。店内には冷房があるからだ。少し涼んでから出ては、また熱くなったら違う店に入る。途中でモモちゃんが冷たいジュースが飲みたいと言って、小さいタバコ屋に入った。

「あんまり大したもんないわ」

店内からモモちゃんがい言う。僕も近づいて見ると、コーラやスプライトなどありきたりの物ばかりだった。なんか、イタリアっぽいもんがよかってんけどな、とモモちゃんがつぶやく。そのとき、冷蔵庫の下の方に目をやると、「アクエリアス」を見つけた。日本では馴染みがあるけど、フランスで見かけたことはない。急に懐かしくなって、アクエリアス買ったらええやん、と彼女に勧めてみる。熱い夏、少年野球の練習のあと飲んだ冷たい一口を思い出す。モモちゃんはそれを買うと、よく子供がする、家鴨のような口をして、一気に半分以上飲み干した。僕に手渡して、はい欲しい 、と聞く。順序が逆やろ、と思いつつも、とりあえず受け取ってから、うんもらうわ、と答える。大口を開けて、ぐっと飲む。パリよりもイタリアの方が、ずっと日本に似ている。

ブティックも少なくなってきたので、僕たちは教会に入ったり、町中にある水道で頭を洗ったり、二人で川沿いに腰掛けて、海の中に両足を浸けてみたりする。小さい河の向こう岸にある教会を眺める。

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しばらく歩いていると、灰色のねこに出会った。犬にはずいぶん出くわしたのに、ねこに会うのはイタリアに着いてから初めてだ。猫は少し警戒した様子で、身をかがめて僕らの方に近づいてきた。

モモちゃんはねこが大好きで、少女のような顔でその子に近づいていって、挨拶をすると、しゃがんで同じ目線で体を撫でた。あんた、名前なんていうの、あたしはモモちゃん。こんにちは。僕は彼女とねこの会話を聞いている。フランスの女流小説家、コレットを専門にしているモモちゃんは、ねこ好きな彼女に惹かれたらしい。コレットにしてみたら、人間よりねこのほうが偉いねん、なんか私それわかるわ、と以前僕に言った。僕は犬に似ているから「コロちゃん」と彼女は僕を命名した。周りの人がその名前を聞いてどう思うかは知らないけれど、動物を人間以上に愛している彼女が犬好きの僕にくれたこの名前を、結構気に入っている。

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ねこと彼女が戯れている写真を僕は何枚か撮った。モモちゃんはカメラの確認画面に写った、自分とねこの写真をみると、満足そうに微笑んだ。近くにおじいさんが座っていたので、そのねこの飼い主だと思った。何か言っているので近づくと、握手を求めているのか手を差し出す。僕も差し出すと、それを支えに起き上がり始めた。モモちゃんももう片手を持って手伝ってくれる。なんだ、支えて欲しかったのか。彼は何か言っていたが、その言葉の意味がわからなかったのが残念だった。

意味もなく目の前にある道を進んでいくと、人気の少ない通りに出た。小さい小学校があって、子供たちの声が聞こえた。その先を歩いていくと、おばあさんが二人話をしていた。太陽が差し込む。ポップスのような音楽が、どこからか聞こえる。カラフルな洗濯物が干してある。日常のベネチアは気持ちいい。

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僕たちはついに海に出た。といっても小さい桟橋だ。先客がいた。50歳ぐらいの小太りのおばさんと、青いデニムのベストをきた海を見るおじさんと、犬。おばさんとおじさんは無関係のようで、離れたところに座っている。おばさんは桟橋の陸に近いところで目をつぶって胡坐をかいている。仏像のように、両手で、それぞれ人差し指と親指で小さい輪を作り、それを膝の上においている。ヨガの練習か、それとも瞑想しているのか僕にはわからなかった。おじさんは散歩に連れてきたジャックラッセルと遊んでいる。犬は、海の水面を覗こうとしたり、首をちいさく傾げたりして、落ち着かない様子だ。僕は以前パリで飼っていた同じ種類の犬を思い出す。学生寮で禁止されていた犬を僕はこっそり飼っていた。名前はべるちゃん。フランス語でBelleは「美しい」の女性形。『美女と野獣』のベル姫からとって名付けた。僕のべるちゃんはなかなかの美女だけど、同時に野獣でもある。おじさんの子犬が水面を覗き込むのをみていると、べるがパリ郊外のソー公園の湖にはまったのを思い出して、笑ってしまう。

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犬とおじさんが帰ってしばらくすると、桟橋が静かになった。思わず寝転がってみたくなる。少し照れながら僕はモモちゃんをみて、膝枕して、と甘える。
ゆっくり横になる。柔らかい腿に頭が沈み込んでいく。見上げると吸い込まれるような青だった。目を瞑ると海のにおいがした。僕は彼女の膝元に手を当てる。

しばらくして、僕たちが起き上がって出発しようと、もと来た道に向かって歩いていくと、さっき瞑想していたおばさんは目を開けていた。僕たちにむかって、人差し指と親指で小さい輪をつくったままの右手をあげて、小さいウインクをして微笑んだ。

僕は膝枕してもらっているのを見られていたのかと思うと急に気恥ずかしくなって、小さい苦笑いを返した。頭の中でこんなフレーズが思い浮かんだ。

「おばさん、もうすこし集中しないと練習になりませんよ」



バックナンバーはこちらから。
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 1. 僕の夢
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 2. 解放と警戒

Nanetteちゃんが綴る『酩酊と饒舌のあいだ-Rosso-』はこちらから。
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 1. 彼の夢
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 2. 解放と警戒
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 3. のどかな午後
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 4. ぼったくり

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# by hiramette | 2009-09-06 04:30 | 小旅行
2. 解放と警戒〜Liberazione e cantela

朝、ベネチア・サンタルチア駅に着いてから、僕らはまずホテルに向かった。チェックインは午後からしかできないけど、先にスーツケースなどの重い荷物を置いていこうということになったのだ。モモちゃんがガイドブックの地図に、ホテルの大体の位置に印を付けてくれていた。それをもとに歩いていったが、「ベル・エポック」は意外にもすぐに見つかった。駅から左に折れる通りを真っ直ぐ行けばいいだけだった。

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ホテルのチェックインカウンターで、名前を言い荷物を預ける。ホテルの名前からフランス語が通じるだろうとは思っていた。現に受付のおじさんはフランス語が流暢で、丁寧に接客してくれた。僕たちは赤いスーツケースを預ける。僕はリュックサックにミネラルウォーターを入れ、カメラをもった。モモちゃんは茶色いショルダーバックを持った。

通りに出ると、モモちゃんはずいぶん解放されたようだった。彼女にとっては初めてのイタリアなのに、緊張した面持ちもなく周りの景色を眺めては嬉しそうに笑った。僕は、それよりも何か軽犯罪にあわないか、緊張しながら周りを眺めていた。

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イタリアは好きだが、正直余りよくない思い出もある。以前ミラノ中央駅で、サングラスと電子辞書を盗まれたことがあった。サングラスは壊れかけていたし、電子辞書は日本語とフランス語のものだったから、盗った人はそんなに得をしなかっただろうけど、こちらにしてみれば大きな損害だった。イタリアはフランスに比べて軽犯罪が多い。レストランなどでのぼったくりも多い。言葉が話せたらそんなこともないのかもしれないが、こちらはただの旅行者だ。特に駅前や人の多く集る場所では警戒しなければならないと思っていた。

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僕らは、小さい橋をいくつも渡った。小さい運河を見るたびに、モモちゃんははしゃいで写真を撮った。彼女がカメラから景色を覗いているあいだ、僕は視界を補助するかのように周りを見渡した。寝台列車の中では、僕はあれほどはしゃいでいたのに今ではすっかり立場が逆転してしまっている。

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ベネチアはガラス工芸が有名らしい。道行く途中で、数々のきらびやかな店を見つけた。モモちゃんはショーウインドー越しに興味深そうに見ながら、これかわいいな、と僕に何度も言った。

「これから、狭い道ばっかりやし、同じところに戻ってこられるかどうかわからんから、ええと思たもん見つけたら買うときや」

別に彼女の購買意欲をそそりたいわけではなかったけど、同じ道に戻ってこられる自信がなかったので僕はそう言っておいた。彼女が小さいブティックに目をやっているとき、僕はその近くの食料品店を見ていた。見たことがないハムや、大きいオリーブの実、ドライトマト、モデナ産のバルサミコ酢の瓶、それにベリーニという桃のカクテルのボトルがたくさん置いてある。フランスとは違う品揃えを僕は目で楽しんだ。

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モモちゃんが昔飼っていて、今年死んでしまった猫の遺影を入れる写真たてがほしいと言ったので、僕らはガラス工芸品と、ベネチアカーニバルの仮面を売る小さな店に入った。アビちゃんのカラーは赤やから、赤っぽい枠がええねん、と独り言のように言いながら彼女は何十もの写真たてを眺め続けた。僕が、これが一番明るくてかわいいんとちがう、とピンク色の写真たてを指差すと、あ、ほんまや、やっぱり明るい感じのやつがええもんな、とそのカラフルな写真たてを眺めた。

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結局その写真たてと、ガラスでできたワインの栓を購入してから、また僕たちはとりあえずの目的地、リアルト橋経由のサン・マルコ広場に向けて歩き出した。ベネチアはパリみたいにあんまり通りの名前もはっきり表示されてないし、番地も3670番地なんていうのがあって、家を探すのにはほとんど役に立たなさそうなものばかりだ。僕らは地図も見ないで、細い道に沿って歩き続けた。腋や腹部から、汗が滲み始めているのを感じて時折上空の、登り続ける太陽の方に目をやった。

ガラスでできた小さなオレンジ色の指輪を買ってから、僕らはリアルト橋に向かっていた。モモちゃんの指は既に、ベネチアガラスに彩られていた。買ってからすぐにつけたのだ。彼女はもうすっかりバカンス気分に浸っている。僕は朝から少しお腹の具合がよくなかったせいもあってか、あるいは昨日の寝台車であまり眠れなかったからか、少し重い足取りで回りを警戒しながら、石畳の道を歩いていた。幸い、犬が多いのにパリのように道端に糞が転がっていないから、足元には余り気をつけなくてもよかった。

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リアルト橋。橋の上にたくさんのブティックがある奇妙な橋。ここからはベネチアの運河、そこを通るゴンドラや船が一望できる観光スポットになっている。にぎやかな階段を一段一段登っていく度に、ますます僕の警戒心は強くなっていく。こういうときに心から楽しめないのは、つくづく損な性格だと思う。ここを目指して歩いてきたはずなのに、喜びよりも警戒心が勝ってしまう。僕はすこしお腹を押さえながら、あちこち周りを見渡した。ほとんどが観光客で、高そうなカメラを持っている。僕は少し安堵して、橋の一角から運河を眺める。ももちゃんもそれを眺めながら持っていたカメラを僕に渡しておどけた顔をした。写真とってください、の合図だ。

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僕は肩からカメラをかけると、設定モードをいじった。風景の青色きれいモード。逆光で暗くならないように気をつけて、シャッターを押す。すばやく写真を撮ったら丁寧に彼女に返す。すると、逆に彼女はその警戒しすぎる僕をみて微笑むと、いたずらっ子のように僕を写真に撮った。どう見ても嬉しくなさそうな顔をしてしまった。

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***

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サン・マルコ広場に着いたものの、僕らは特にすることがなかった。中の教会に入りたいとは思わなかったし、この近辺は高い店が多いので気をつけたほうがいい、と寝台車で出会った夫婦が言っていたのを思い出した。空は果てしなく青く、太陽が燦々と照りつけて、石畳を熱くしていた。目が痛い。誰かが上空からこの石畳や黄金色の海に向かって、雪を振りまいてくれたら綺麗だろうな、と僕は思った。光をできるだけ避けながら海の方に近寄っていった。黒いゴンドラがたくさん停泊しているところで、英語を話す女の子に2人の写真を撮ってもらった。それが、今回の旅行で撮った、初めての二人の写真だった。

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これからどうしようか。自然に僕たち二人が同じことを考えていた。ここでごはんを食べるのか、船の24時間券を買ってムラーノ島へと向かうのか、それとも値段の高いこのあたりを避けて、違うところで食事をするのか。僕はガイドブックを開いた。ここから東に向かって海岸に沿っていくと、何か食べるところがありそうだ。二人はその方向を目指して再び歩き始めた。僕の体は熱いのに、腹だけが冷えているのを感じていた。痛いというほどではなかったが、腹部を暖めようとTシャツ越しに何度か手を当てた。モモちゃんはそれを見て何度か大丈夫、と聞いてくれたが、しばらく歩いていると、彼女がこう付け足した。

「あんまり、大丈夫、大丈夫って聞かれて余計しんどなんねやったら、私はもう何もいわへんけど、気にはかけてるからしんどなったら言うてな」

この人は僕のことがよくわかっている。心配してくれるのは嬉しいけど、あんまり大丈夫、大丈夫と聞かれると逆に疲れてくることもある。スポーツ選手をそっと見守る応援の仕方があるように、何も言わないで少し気にかけてくれている程度の時があってもいい。何事も気を張りすぎるのはよくない。心臓だって伸縮を繰り返して生きている。僕はそのことばを聞いて、今までの警戒心が緩み、少し明るい気持ちになった。

海沿いを歩いているはずが、道が続いていなくて、どんどん町の内部に押しやられている。僕らはガイドブックを見ながら、北東の方にある港を目指した。本によると、その近くに「エノテカ・ボルドリン」という変わった名前のワインバーがあり、値段も安そうなことがわかった。僕らの旅行の楽しみの一つはとにかくおいしいものを食べることだったので、二人の目的地はいつの間にか「エノテカボルドリン」になっていた。

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サン・マルコ広場を出てからというもの、商店が立ち並ぶ道は極端に減り、むしろ静かな建物が立ち並ぶ界隈になった。きっとここらへんに、本当のベネチアがあるのだと思った。奈良の田舎で育った僕にとっては、こちらの方がずっと性にあっていた。東京でもパリでも、空虚な風が僕の中を吹き抜けることがある。途中水のみ場で頭を冷やしながら、僕たちは進んだ。町のあちこちに水の出る小さな蛇口があって、その水は意外に冷たかった。静かな道をしばらく行くと、僕らは海に出た。水上バスの小さい駅が一つあるだけで、そのほかは何もない。穏やかな海だった。2人は日陰に腰掛けて、しばし休憩する。することは海を見ることしかない。僕は今まで見たベネチアの中で、それが一番美しいと思った。

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***

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ベネチアでは白ワインを、フィレンツェでは赤ワインを飲もうと、はじめから決めていた。ベネチアには海があり、新鮮な海産物の宝庫だ。一方フィレンツェはトスカーナ州の中心地。世界的に有名な赤ワイン、キャンティの生産地でもある。僕らは「エノテカ・ボルドリン」に到着すると、すぐにグラスに入った白ワインを一杯ずつ注文した。銘柄はよくわからないけれど、店の女性が勧めてくれたものに従った。大きいグラスの中に冷たい透明の液体が注がれる。それを見ただけで、今までの疲れが一気に吹き飛ぶような気がする。

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このワインバーでは、最初に入り口のカウンターに並んでいる物を見て、気に入ったものを選び、先に会計をしてから席で食べるという仕組みになっている。半セルフサービスというわけだ。店には、並んでいる料理を盛り付けてくれる30代ぐらいの女性と、入り口のテーブルに腰掛けている60ぐらいの店主らしきおじさんがいたが、どちらも気さくな人で、僕の片言のイタリア語にも熱心に耳を傾けてくれる。

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オリーブの実、ドライトマトのオリーブオイル漬け、きのこのソテー、ニョッキのクリームソース、トマトソースのスパゲッティー、白身魚、烏賊のトマト煮込みなどがあったが、僕たちはその中から、オリーブ、きのこのソテー、小えび入りのトマトソースパスタ、それにプチトマトと香草でシンプルに味付けした白身魚のソテーを頼んだ。席に着くと、早速料理の写真を撮る。すると、入り口のテーブルにいた店主のおじさんが僕らに近づいてきて、写真を撮ってあげようと言う。僕らは彼の持つカメラに向かって微笑んだ。おじさんは写真を撮るのが好きらしく、一眼レフを慣れた手つきで持つと、構えてシャッターを押した。隣にいるドイツ人らしき家族が僕らの方をちらちら見ていた。

僕はすっかりいい気分になって、白ワインを空け、2杯目にプロセッコを頼んだ。イタリアのスパークリングワイン、プロセッコは、シャンパーニュよりもフルーティーで、食前酒や軽い食事に向いている気がした。一杯たったの3ユーロ50なので、財布を気にせずに飲むことができた。モモちゃんも一口だけ味見、と横から僕のグラスを奪う。朝食からひたすら歩き続けたので、二人は空腹だった。一気に全ての皿を平らげると、体中の筋肉が緩んだ。午前中に抱いていた警戒心は一気に解き放たれて、店の空気の中で僕はゆらゆらとしていた。

でも、僕らはそんなに悠長に時間を過ごしている暇はなかった。そもそも、ベネチアにいるのが明日の午後までというのも、ずいぶん忙しい旅行だし日本人らしいなと自分でも思う。けれども、せっかくここまできたのだから、知らないベネチアを経験したい。僕は紙ナプキンで口を拭きそれをくしゃくしゃに丸めると、トイレで日焼け止めを塗りなおして帰ってきたモモちゃんに向かって言った。

「さあ、海を渡ろう」


Nanetteちゃんヴァージョン、『酩酊と饒舌のあいだ-Rosso-』はこちらから。
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# by hiramette | 2009-09-03 02:46 | 小旅行