料理にワインに競馬に文学。F氏のフランス滞在期


by hiramette

カテゴリ:文学( 3 )

初めて文学的なお話

 自分の専門、ランボーについてさっきまで考えていました。
 
 考えてみると、自分が今までやってこれたのも、他の人との出会いがあったからこそです。フランス文学という、一般の人から見れば得体の知れないことを田舎者の僕がここまで続けているというのも不思議な話ではあります。

 僕は、いままで人前で何かをやることが多かったし、これからもおそらくそうなんだろうけど、このごろはつくづく人から学ぶことの多さ、貴重さを実感します。

 実はすこし出不精で、めんどくさがり屋なところがあり、時々一人で考え込んでしまったりもするんだけど、日本に帰って、自分のことを本当に応援してくれている人がたくさんいるんだと実感しました。改めて今、この瞬間を大切にしなければと思います。

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 さまざまな出会いがあったけど、その人たちの声はいつも僕の体のどこかに残っていって、ふとしたときによみがえることがあります。自分のものではなかった考え方や思想や振舞いかた、多様な感情、さまざまなトーンの声が複雑に混ざり合って、自分という人間になっているような気がします。

 パリの街の中を一人で歩いているとき、例えば100年前、200年前にも同じように同じ道を歩いていた人がいたんだと思うと、なんだか都会の喧騒の中に、昔の人々の足音、小さなこだまのようなものが残っているような気になります。もしも、自分がこの街で少しずつ変わっていくのだとしたら、そんな忘れ去られた声やこだまにささやかれたり、記憶のかけらのようなものを踏んづけたりするからだと思うことがあります。それを人は雰囲気と呼ぶような気がします。

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「熱いブラックコーヒーに、小さな角砂糖を一粒入れる。白い塊は黒いの表面に波紋を広げたあと、ゆらゆらと沈んでいく。苦い液体を吸収しながら溶けていく。スプーンでゆっくりかき回すと、砂糖は、くずれ、まるくなり、無数のちいさなかけらになって、すうとコーヒーに同化する。僕は、白いプラスチックのカップを上から覗き込んで、湯気とともに液体を口に含んだ。コーヒーは、ほのかに甘いにおいとともに口に広がり、体に広がった。やわらかな息がでた。 こんなふうに、きみは僕の一部になった。」

 こんな感じで文章を書こうとしたことがありました。今まで出会った人の声や、いままで見た光景が僕の中に吸収されていって、ふとした瞬間にそれらを思い出したときに、自分と外部との和解のようなもの、友情のようなものを感じる。あるいは逆に、自分の言葉が誰かのものになって生き続けられる可能性を感じる。昔から考えてたテーマです。 でも、まだまだ頭の中にあることも文章も固くて、消化できずにいます。研究や競馬、レストランで出会った人びとが、その答えをくれるのかもしれません。
 
 今研究している「ランボーの多声性」っていうのにも大いに通じるところがあって、仕事も結局自分が漠然と考えてきたことと結びつくんだなあ、でなきゃやってられないよなあ、と思います。

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 ただ、文学作品を読むというのは、気難しい人と付き合うようなところがあって、こっちが相手の気持ちを理解しようと躍起になって、あの手この手を尽くしても、相手はじっと黙って、決して口を割ることはないのです。まあそれが魅力でもあるんだけどね…。 大事なのは、決して感情的にならずに、優しくひたむきにその人を見守ることのような気がします。急がず焦らず、基本的に楽しく、人と解り合おうとすることが、文学研究の基本姿勢にも通じるように思うのです。結局は人間の書いたものだから。

 暴力であり、嫉妬であり、絶望であり、夢であり、友情であり、愛である言葉を使って、人がひたすらに表現し、かたちにならない思いをかたちにして伝えようとするのは、きっと言葉のチカラを信じているから。

 文法というちっぽけな規範を除いては、取扱説明書のない言葉の使い方を、僕たちは探し続けて生きているような気がします。

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 ははん

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by hiramette | 2009-07-18 03:02 | 文学

プルーストのマドレーヌ

 20世紀フランス文学を代表するプルーストの小説『失われた時を求めて』のなかのお話。

 主人公がマドレーヌを食べた瞬間、幼少期の風景がよみがえり、ティーカップからコンブレーの町が鮮明に立ち現れます。美しい場面です。

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 誰にでも、これを食べたら、小さいころの景色思い出すなあ、という懐かしい食べ物があるでしょう。味ではなくても、音楽でも、匂いでも。人生の、ある瞬間の風景が、味覚や嗅覚、聴覚をきっかけに、ふと蘇ることがあります。

 僕にとっての「プルーストのマドレーヌ」は、おばあちゃんの手料理です。僕は双子で、母は生後体が小さかった兄に手を焼いていたので、自然と僕はおばあちゃんによく遊んでもらいました。中学になっても高校になっても、おばあちゃんの手料理が食べたくなって、よく2キロほど離れたおばあちゃんの家に自転車をこいで行ったものです。

 フランスに住んでる今でも、それは変わりません。奈良に帰ったら、おばあちゃんの料理を絶対一度は食べにいきます。それで、懐かしい味と、風景を思い出し、ほっと一息。ああ、ふるさとに帰ってきたと実感するのです。

 ということで、3つ星料理店を上回る、おばあちゃんの料理を一挙公開!昨日の晩ご飯の様子です。

 まずは玉子焼き。これがないと始まりませんね。

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次はきんぴらごぼう。少し豚肉が入っているのがおばあちゃん風なのです。

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そして世界一おいしい煮物です!まいたけと鶏肉がよく入ります。

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大根とにんじんの紅白なます。甘酢がさっぱり。食欲をそそります。

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ほうれん草のおひたし。

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鮎の塩焼き。海なし県の奈良には貴重なお魚なのです。吉野川の流れ音が聞こえてきそうです。

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たこの酢の物。僕は酢の物が大好きです。

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おばあちゃんとお父さん。前も書いたけどおばあちゃんはもう90歳。でもまだ90歳と言えるぐらい元気で、本当に何よりです。とにかく、いつまでも元気でいてほしいです。

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相当髪の毛が伸びました。えへ。

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ということで、今日髪の毛切ってもらってきました!美容師さんに東京で学会に出るから、まじめな感じに、と話すと「東京もんには負けんようにがんばってきてください」と応援していただきました。むむう、典型的な関西人やな。

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昨日はこんな感じで寝ました。くったくった。家庭の味っていいですね。

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ちなみに、こちらはおまけ写真。おばあちゃんが作ったものではないけどね。パリ在住のランボー研究者をはじめお友達のみなさん。ええやろ。うらやましいやろ。すいません。

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by hiramette | 2009-05-17 22:59 | 文学
 みなさんこんにちは。フランスは夜中です。

 今回は、フランス語を日本語に訳すのは難しいね、というおはなし。

 僕はフランス文学なんていうものを一応は専門にしていますが、田舎に帰って、パリに住んでいるといっても、

「それは、フランスの隣の国やろ」

 と言われる始末で、始末におえません。ばふん。

 フランス文学は、結構日本語に訳されていますが、翻訳も結構難しいですね。特に詩の翻訳は、リズムと意味とを伝えなくてはいけないので、そんなことはほぼ不可能なのです。

 小説や詩の題名も結構変に訳されてたりします。

 例えば僕が専門にしているランボーちゃんのUne saison en enferですが、これは『地獄の季節』と訳されています。でも正確な意味は「地獄で過ごしたある季節」ということ。それではかっこいい題名にならんので、そう訳したんでしょう。

 間違っている、典型的なパターンはサルトルさんの la nausee。 原題は「吐き気」という意味ですが、日本語の題名は『嘔吐』。

 既にゲが出てしまっています。まだ吐かないでね。

 他にも変な訳。猫の泣き方を訳したものですが、me-rrouinを「ムルイン」と訳してありました。フランス語読みをすると「ムルアン」ですし、みゃーんみたいな泣き方だと思うのですが。ムルイン。

 きっと訳した方は猫を飼ったことがないのでしょう。パソコンに向かって「ムルイン」と言ってみましょう。

 そんな猫おらんて。

 とは言いつつも名訳があることも確か。例えば、『星の王子さま』の原題はle petit prince で「小さな王子さま」という意味ですが、『星の王子さま』のほうが良い感じがします。『失われた時を求めて』 A la recherche du temps perdu も名訳だとは思います。

 とかなんとか、人の訳を褒めたりけなしたりしてるけど、今日も僕は図書館で、調べものをして、徒労に終わって、A la recherche du temps perdu(失われた時を求めて)ならぬle temps perdu a la recherche(研究によって失われた時間)が著しく、ますます阿鼻叫喚な毎日です。むきゃ。

 こんな時に限って、普段は決してしない模様替えなどしてみればええんとちがうんかしらんって、思ってしまうもんですね、人間って。

 ばふん。

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「お兄ちゃん、お兄ちゃんよね、本当に帰って来てくれたのね」

平和な時代に生まれた僕は幸せ者です。
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by hiramette | 2009-04-17 08:17 | 文学