本日はこのブログ、「やたらと明るいけど、私は空元気です」の5000名さまご訪問を祝しまして、いつもよりやたらとたくさんの記事を書かせていただいています。
昨日はメゾン・ラフィットの様子をお伝えしましたが、その後急にお腹が空き、ご飯をつくってなどいられんぐらいになったので、帰りにポルト・ドルレアンで安い中華料理を食べて帰ることにしました。
春雨の上に春巻きと、牛肉が載っているベトナム系の料理を食べたのですが、そこに中華系の料理に入れるはずのタケノコが。いや、これは合わんやろ、と思いつつもお腹がすいていたのですっかり平らげてしまったのでございます。
ところで、そのときタケノコにまつわるお話を思い出しました。ひとりにやにやしていたら周りの客に相当怪しまれてしまいました。
パリ留学初期からの友人でTさんという方がいます。とても誠実で優しい方で僕は大変尊敬しています。そんな彼とのエピソードです。
以前、彼がNanetteちゃんの家に遊びに来てくれたことがあって、3人で食事をしていると、なぜか大学入試の小論文の話になりました。僕は昔、アルバイトで塾みたいな予備校みたいなところで小論文の講師をしていたことがあります。とはいってもほとんどの生徒さんが、幼児教育系志望の高校生でした。教育系の大学の出題傾向から、何か社会問題を論じるというより、自分の印象に残ったことや、そこから発して志望動機を書かせるような過去問題を多く扱っていました。
そこで、僕がそのとき失敗したエピソードの話に。論文だから「のである」という言葉で書いたほうが、文体としていいんじゃないか、と勧めたところ、その翌週に高校生の女の子が、
「私はその子を見て悲しかったのである。砂場はみんなのものなのである。」
とか、
「私の作ったごはんを食べて、その子は喜んでくれたのである。また作ってあげたいのである」
とか書いてきてしまって、爆笑したあと、いや実際余計なこと言わねばよかった。ミスったなーという話を照れながらしたのでした。
僕はTさんに「小論文やってました?」と尋ねました。すると、普段とても物静かな彼が口を開きました。
「いや、僕も小論文というものがどんな物かと思って、授業を見学したことがあるのですが、そのとき、たけのこ、いや、はい、タケノコの話をしていました」
「はい?」
「いや、その小論文の模範解答なんですが、ある春の日の竹やぶとタケノコの見える景色の話から始めて、工場を作るためにタケノコのある山を伐採するという話になったんです。それで、森林破壊によって、おいしいタケノコが食べられなくなるのはさみしい、だから、あの、環境保全は大切だとか、そういう文だったんです。それで、講師の先生が、その小論文を褒めているのを聞いて、僕は、このような受験方法を使って、このような手段で、大学に入学しなくてもいいかなと思ったんです」
おっしゃる通りです。しかも、奈良の田舎育ちの僕から、さらに有力な情報をお伝えしておきますが、春に作者が見たタケノコは、もう食べられません。タケノコというのは地中に埋まっている状態、あるいは、ほんの少し顔を出したやつしか、食えないのであって、文をかいたおぢさんはきっとタケノコなど採ったことのないBB(ぼんぼん)なのでしょう。要は、人間で言うところの、声変わりし始めた中学生ぐらいまで育った食えないタケノコを見て、お、あれうまそうやないか、と勘違いされていただけということなのです。
中華料理のタケノコ水煮を見ながら、このようなことを思い出し、へらへら笑っていたF氏なのでした。
みけけ。
明日はケバブでも食べたろかしらん。

ちなみに、友人Yっしーによると、友人たちの間でケバブばっかり食べる、「ケバ部」なる部活が存在するらしいです。相当若い胃じゃないと、ついていけない厳しい部活動です。
「先輩この子フライドポテト残してますー」
「全部食べやなあかんがな」
「すいません」
って、んなあほな。
寝起きの頭がタケノコそっくりなあなたも、ケバ部に入部したいあなたも、どうか1クックリお願いします。
