料理にワインに競馬に文学。F氏のフランス滞在期


by hiramette

酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 4.ぼったくり

4.ぼったくり〜Bottakuri

旅行に出る3週間前から、夕食はどこで食べようかとガイドブックとにらめっこしていた。「食べる」ということは僕にとって、歴史的建造物を見るよりも、美術館に行くよりも重要なことで、その場所で食べたものに感動したかどうかでほぼ旅行の良し悪しがきまる。皿の色、料理の匂い、ワインの味が美しい風景に匹敵するのだ。パリにいる文学仲間は、作家のゆかりの場所に行きたいといい、美術をする人は美術館に、音楽家はコンサートに行きたいという。けれども僕はそれらに行くお金をけちってでもおいしいものを食べたい。本能がそう呼びかけるのだからどうしようもない。必然的にエンゲル係数が高くなる。

今回の旅行中、どこで何を食べるのかを決める担当だった僕は、失敗しないようにガイドブックを入念に読んだ。サンマルコ地区にある「アルモンドヌォーヴォ」はコースが25ユーロ。ガイドブックに乗っているベネチアのレストランの中では一番安かった。毎日漁師から仕入れるアドリア海の魚が自慢だそうだ。予想される味と値段を考えて、ここが一番よさそうだということになった。

ムラーノ島から帰ってきた僕たちは、汗ぐっしょりだった。夕食をとるまでにまだ少し時間があったので、一旦ホテルにチェックインし、シャワーを浴びてから夕食に再出発することになった。といっても、モモちゃんは少し胃が痛いというし、僕も昼ごはんがまだ残っていて、空腹感がない。とりあえずはシャワーを浴びて、ホテルの涼しい部屋で寝転がってみたものの、そのまま寝るわけにもいかないので仕方なしに外に出ることにした。僕たちの探すレストランはサンマルコ広場の近くにあるので、歩いたら結構な距離になる。歩いているうちにお腹がすいて、おいしい魚が食べられるようになればいいと思った。

僕たちは、ホテルからまた細い道を歩く。今度は、きちんと地図で自分たちのいる場所を確認しながら。夜は少しずつ更けていく。パリよりも南に位置するベネチアに夜が訪れるのは、ずいぶん早く感じられる。石畳の道が少しずつ陰りをみせる。運河は夜の光を浴びてきらびやかに輝いている。地図上どこを歩いているかは解っているつもりだけれど、暗さが僕たちを少し不安にする。モモちゃんの手を少し強く握る。

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探しているレストランに近いはずの、狭い通りを歩いていると、午前中歩いているときに見た怪しいレストランがあった。昼同様、ずれた調理帽を被った男が客の呼び込みをしていた。少年漫画に出てくる悪者のような顔をしていた。目は細く精彩がない。鼻と唇は大きく浅黒い肌をしている。小太りで背がずいぶん小さい。口だけはにこやかなのに目は全然笑っていない。パリでこの手のレストランを見つけたときは、まず気をつけたほうがいいことをわかっている僕たちは、通り過ぎようとした。しかし、念のために店の看板に目をやると「アルモンドヌォーヴォ」と書いてある。そこが僕たちが目指してきたレストランだった。

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僕はびっくりしてガイドブックに目をやる。客引きはここで間違いない、と言いたげな片言の日本語で僕たちを中に案内しようとする。いや、ちょっとやばそうやでこれ、と僕はモモちゃんにいう。そやな、ちょっとあやしそうやな、彼女が眉間に皺をよせる。しかし、ガイドブックに書かれた店は明らかにここだった。今まで、様々なぼったくり被害の話は聞いたことがあるけれど、さすがにガイドブックに載っている店で騙されたという話は聞いたことがない。その手の本は基本的に犯罪にあったり、不正な料金を取られないための情報が掲載されているはずだからだ。二人は顔を見合わせた。このレストランに来るために、わざわざ20分ほど歩いてきたこと、もう夜八時を過ぎていることを考えると、他の店を探すよりやはりここで食べるのが妥当なように思われた。まあ、とりあえず入ってみるか、僕たちはそう言いあうと、小男に誘われるがままにレストランの中に入った。


***


 店内は意外と広かった。デザートや魚が置いてある細長い通路を歩いていく。テーブルはいくつもあるが、客は全然いない。その先は大きな空間になっていて、たくさんのテーブルと椅子が並べてある。そこは部屋と中庭の中間のような感じだった。天井がなく、生い茂り、何重にも絡み合った木の蔓が屋根代わりになっている。といっても隙間から空が見えるので、雨が降ったらどうするのだろうと思った。地面は石畳でできていて、机も椅子も少し斜めに傾いていてなんだか頼りない。それでも客がちらほらいて、特に不満な様子もなく食事をしていたので僕たちは少し安心し、古い木の椅子に腰掛けた。

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僕の視線の先、壁には50センチほどの聖人像が飾ってある。おそらくは木の彫刻に彩色したものだ。イタリア人は敬虔なクリスチャンが多いと聞く。僕はキリスト教に詳しいわけではないけれど、彼らが神を信じているならば、さほど罪深きことはしないだろうと思った。聖人は無表情のまま僕の顔を見ている。ずっと見られ続けているような気になって目を伏せる。

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とりあえず食前酒はいかがですか、と若い黒人のウェイターが尋ねる。僕はずっと「アペロル」というオレンジのリキュールを飲みたいと思っていたので、それを頼む。モモちゃんも一度飲んでみたいということで同じものを頼んだ。

すぐにきれいなオレンジ色の透明な液体が運ばれてくる。数年前にヴェローナで飲んだアペロルに違いなかった。しかし、見たところ以前飲んだものの方が色が濃かった気がする。小さい解けかけの氷が2つ浮かんでいる。一口飲む。ほとんど味がしない。モモちゃんの顔を見る。少し俯きながら申し訳なさそうな顔をしている。自分の飲んでいるもの食べているものが好きではないときにする顔だ。眉間に皺を寄せている。このレストランに抱いていた疑念が、少しずつ確信に変わっていく。

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味気ない食前酒をちびちび飲んでいると、背の高いタキシードを着た給仕係がメニューを運んできた。この男も一見紳士を装いながら、どこか胡散臭さを感じさせる。それを証拠に、ケースに入っていた魚を持ってきて、高い料理ばかりを説明する。どこの日本人に習ったのかは知らないが、魚介類を指差しながら片言の日本語を話す。

「コレワ、スズキ、コレホタテ、コレエビ、コレタイ」

何かの呪文のような言葉に従って、メニューにある魚料理を探す。スズキ32ユーロ。ホタテ38ユーロ。オマールエビ45ユーロ。タイ34ユーロ。高すぎてとても手の出る金額ではない。

外国のことを知らないまま新婚旅行で来たのなら、ああ、この人日本語をしゃべってくれるのか安心した、と思うかもしれないが、こちらは長年フランスに暮らしているから、どういう顔を信じてはいけないかは心得ているつもりだ。僕は向こうの誘いにできるだけ乗らないようにしようと小さく決意する。とはいっても、もしかしたらいいレストランなのかもしれないという期待も拭いきれないでいることは確かだ。ガイドブックがわざわざそんなに悪いレストランを載せるはずがない。

「魚は要りません。まず魚介の前菜の盛り合わせを一つ。これは二人で分けます。それから、そのあと彼女にイカ墨のスパゲッティー、僕に手長エビとアサリのスパゲッティーをください」

とりあえずベネチアならではの魚介のスパゲッティーを頼んだ。実際イカ墨のスパゲッティーを食べることはかねてからの楽しみでもあった。できるだけ迷うそぶりを見せずに淡々と話す。その方が向こうの流れに乗らなくて済むからだ。何かを勧められて無言の時間が長くなればなるほど、向こうの術中にはまる確率が高い。隙を見せてはいけない。

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「かしこまりました。飲み物は?」

笑顔ですかさず訊いてくる。僕は魚介類にあう白ワインを少し飲みたかったが、「おまかせ」するのは怖い。とりあえずワインリストを見せてくれと頼む。もらったメニューを見ると、案の定ずいぶん値段が高く設定されていることがわかる。しかも給仕の男は一番高いワインを勧めてくる。ローマ近辺で作られた白ワインがハーフで38ユーロ。フランスのワイン専門店で超高級ワインが一本買える値段だ。レストランといえど高すぎる。結局ピノ・グリというブドウの品種でできたハーフボトルを頼むが、それでも19ユーロだ。パリでもそこまで高くない。夏のベネチア価格は限りなく詐欺に近いと思った。僕はメニューから顔を離し、再び聖人像を見上げる。頼り無さげな彼は、余り助けてくれそうにない。

背の高い給仕係が白ワインのハーフボトルを運んできた。注ぎ口を右手でつかむとそれをまわす。プチっという音とともに瓶が開く。驚いた。普通はコルクを抜かなければならないからだ。ところが、このワインは酢やオリーブオイルの瓶に使うような金属でできたキャップで栓をしてある。給仕係はそれを開けると平然とした表情で僕に注ぐ。フランスでこういうワインがあったら、まず間違いなく安物と見ていい。つまり僕たちは、安物のハーフボトルのワインに数倍のお金を払わされているわけだ。僕たちはここでやっと確信した。この店はまずい。

運ばれてきたスパゲッティーも、その確信を裏切らなかった。不味くはないが、決しておいしくはない。僕の頼んだ魚介のパスタには手長エビとアサリが入っていたが、エビは弾力がなく、アサリは少し風味が劣化していた。モモちゃんのイカ墨のスパゲッティーも具はほとんどなく、墨も市販のペーストを使ったのではないかという気さえしてくる。疑いが不信感を呼び最後に不満になる。「アルモンドヌォーヴォ」はイタリア語で「新世界」。けれどももちろんそんな所には行きたくない。

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今まで頼んだ分を計算してみる。食前酒の値段が載っていなかったのが怖くなる。一人25ユーロだった計算が、もう40ユーロ近くなっている。これから、どれだけ誘惑されても、もうこれ以上頼まないでおこう、と僕らは改めて確認しあう。すると例の呼び込みの小男に連れられて、入ってくるカップルが見える。僕はかわいそうに、と目を伏せる。

「そやけど、この店ひどいわ。25ユーロなんか大嘘やん。ボッタクーリやな」

僕がイタリア語の発音を真似てそう言うとモモちゃんが笑いながら加勢する。

「ほんまやな。クソッターレやわ。」

正確に言うとぼったくられたわけではないのかもしれない。しかし、料理に見合わない金額を支払わされたことは確かだ。黙って支払い出て行くのが悔しくって、僕らは彼らのわからない日本語で文句を言う。そうでもしないと気がすまないからだ。一度火がつくとどんどんエスカレートしていく。イタリア語っぽいイントネーションで、大げさな身振りをして、大声で僕は話す。

「イタリーアノ、ボラレーノでマンマミーアのセンプレ、ムカツキッシモやわ。オマエーラにダマサレータ、ボッタクーリやからクソッターレでカネカーエセ」

マンマミーアなど、相手がわかりそうな表現をわざと入れて少し周りの気をひいてみる。お酒が入っているので、歌うようなリズムで話すのが楽しい。モモちゃんは大笑いしていたが、周りの人が僕たちを見ているのに気付いたのか、時々声の大きすぎる僕を制した。

どれだけ大きな声で騒いでも、それは犬の遠吠えに過ぎなかった。デザートを断り、食後酒を断り、コーヒーも断ったにも拘わらず、前半の注文が響いて、僕らはやはり予算以上のお金をとられてしまった。「盗られた」と言ったほうが正確かもしれない。とはいっても、レストランの作戦もあまり上手く機能しているようには見えなかった。いちいち現物を持ってきて見せるこの勧め方が怪しいと思ったのか、周りの客のほとんどが勧めを断っていた。そのたびに、給仕係たちはつまらなさそうに目を見合わせ、持ってきたデザートや食後酒のサンプルをまた冷蔵庫の方に片付けるのだった。

中にはパンが乾いていて古いから替えろ、という客までいた。それが周りの客に聞かれ、注文に悪影響が出ると思ったのか、給仕係は強い口調で応戦していた。僕は朝歩いているときに見た、ベネチアのカーニバルの仮面を思い出した。一見きらびやかに見えるこの街も、きっと仮面を被っているに違いなかった。EU諸国に新しい通貨ユーロが導入されて数年。物価が高くなって、きっとどこも大変なんだろうと思った。外国人観光客が落としていく金に依存せざるを得ない状況を考えたら、素直に笑えない気もした。

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レストランを出ると僕たちはまた来た道を引き返し、リアルト橋から船に乗った。無数の豪奢な光が河の両岸に連なっている。ほとんどがホテルかレストランだ。光は川面に映し出されて伸びるようなきらめきを見せている。僕は揺れる船からそれを見ていた。揺らいで不安定な光は、船が作る水のうねりに今にものみ込まれてしまいそうだった。大きなモーター音を鳴らして進む船の揺れに身を任せながら、この頼りない光を見ているうちに、レストランであれほど饒舌だったはずの僕はすっかり無口になってしまった。

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バックナンバーはこちらから。
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 1. 僕の夢
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 2. 解放と警戒
酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 3. のどかな午後

Nanetteちゃんが綴る『酩酊と饒舌のあいだ-Rosso-』はこちらから。
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 1. 彼の夢
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 2. 解放と警戒
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 3. のどかな午後
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 4. ぼったくり
酩酊と饒舌のあいだ-Rosso- 5. 一日中、海を見ている暇はない

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by hiramette | 2009-09-10 02:53 | 小旅行