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料理にワインに競馬に文学。F氏のフランス滞在期


by hiramette

酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 2. 解放と警戒

2. 解放と警戒〜Liberazione e cantela

朝、ベネチア・サンタルチア駅に着いてから、僕らはまずホテルに向かった。チェックインは午後からしかできないけど、先にスーツケースなどの重い荷物を置いていこうということになったのだ。モモちゃんがガイドブックの地図に、ホテルの大体の位置に印を付けてくれていた。それをもとに歩いていったが、「ベル・エポック」は意外にもすぐに見つかった。駅から左に折れる通りを真っ直ぐ行けばいいだけだった。

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ホテルのチェックインカウンターで、名前を言い荷物を預ける。ホテルの名前からフランス語が通じるだろうとは思っていた。現に受付のおじさんはフランス語が流暢で、丁寧に接客してくれた。僕たちは赤いスーツケースを預ける。僕はリュックサックにミネラルウォーターを入れ、カメラをもった。モモちゃんは茶色いショルダーバックを持った。

通りに出ると、モモちゃんはずいぶん解放されたようだった。彼女にとっては初めてのイタリアなのに、緊張した面持ちもなく周りの景色を眺めては嬉しそうに笑った。僕は、それよりも何か軽犯罪にあわないか、緊張しながら周りを眺めていた。

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イタリアは好きだが、正直余りよくない思い出もある。以前ミラノ中央駅で、サングラスと電子辞書を盗まれたことがあった。サングラスは壊れかけていたし、電子辞書は日本語とフランス語のものだったから、盗った人はそんなに得をしなかっただろうけど、こちらにしてみれば大きな損害だった。イタリアはフランスに比べて軽犯罪が多い。レストランなどでのぼったくりも多い。言葉が話せたらそんなこともないのかもしれないが、こちらはただの旅行者だ。特に駅前や人の多く集る場所では警戒しなければならないと思っていた。

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僕らは、小さい橋をいくつも渡った。小さい運河を見るたびに、モモちゃんははしゃいで写真を撮った。彼女がカメラから景色を覗いているあいだ、僕は視界を補助するかのように周りを見渡した。寝台列車の中では、僕はあれほどはしゃいでいたのに今ではすっかり立場が逆転してしまっている。

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ベネチアはガラス工芸が有名らしい。道行く途中で、数々のきらびやかな店を見つけた。モモちゃんはショーウインドー越しに興味深そうに見ながら、これかわいいな、と僕に何度も言った。

「これから、狭い道ばっかりやし、同じところに戻ってこられるかどうかわからんから、ええと思たもん見つけたら買うときや」

別に彼女の購買意欲をそそりたいわけではなかったけど、同じ道に戻ってこられる自信がなかったので僕はそう言っておいた。彼女が小さいブティックに目をやっているとき、僕はその近くの食料品店を見ていた。見たことがないハムや、大きいオリーブの実、ドライトマト、モデナ産のバルサミコ酢の瓶、それにベリーニという桃のカクテルのボトルがたくさん置いてある。フランスとは違う品揃えを僕は目で楽しんだ。

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モモちゃんが昔飼っていて、今年死んでしまった猫の遺影を入れる写真たてがほしいと言ったので、僕らはガラス工芸品と、ベネチアカーニバルの仮面を売る小さな店に入った。アビちゃんのカラーは赤やから、赤っぽい枠がええねん、と独り言のように言いながら彼女は何十もの写真たてを眺め続けた。僕が、これが一番明るくてかわいいんとちがう、とピンク色の写真たてを指差すと、あ、ほんまや、やっぱり明るい感じのやつがええもんな、とそのカラフルな写真たてを眺めた。

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結局その写真たてと、ガラスでできたワインの栓を購入してから、また僕たちはとりあえずの目的地、リアルト橋経由のサン・マルコ広場に向けて歩き出した。ベネチアはパリみたいにあんまり通りの名前もはっきり表示されてないし、番地も3670番地なんていうのがあって、家を探すのにはほとんど役に立たなさそうなものばかりだ。僕らは地図も見ないで、細い道に沿って歩き続けた。腋や腹部から、汗が滲み始めているのを感じて時折上空の、登り続ける太陽の方に目をやった。

ガラスでできた小さなオレンジ色の指輪を買ってから、僕らはリアルト橋に向かっていた。モモちゃんの指は既に、ベネチアガラスに彩られていた。買ってからすぐにつけたのだ。彼女はもうすっかりバカンス気分に浸っている。僕は朝から少しお腹の具合がよくなかったせいもあってか、あるいは昨日の寝台車であまり眠れなかったからか、少し重い足取りで回りを警戒しながら、石畳の道を歩いていた。幸い、犬が多いのにパリのように道端に糞が転がっていないから、足元には余り気をつけなくてもよかった。

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リアルト橋。橋の上にたくさんのブティックがある奇妙な橋。ここからはベネチアの運河、そこを通るゴンドラや船が一望できる観光スポットになっている。にぎやかな階段を一段一段登っていく度に、ますます僕の警戒心は強くなっていく。こういうときに心から楽しめないのは、つくづく損な性格だと思う。ここを目指して歩いてきたはずなのに、喜びよりも警戒心が勝ってしまう。僕はすこしお腹を押さえながら、あちこち周りを見渡した。ほとんどが観光客で、高そうなカメラを持っている。僕は少し安堵して、橋の一角から運河を眺める。ももちゃんもそれを眺めながら持っていたカメラを僕に渡しておどけた顔をした。写真とってください、の合図だ。

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僕は肩からカメラをかけると、設定モードをいじった。風景の青色きれいモード。逆光で暗くならないように気をつけて、シャッターを押す。すばやく写真を撮ったら丁寧に彼女に返す。すると、逆に彼女はその警戒しすぎる僕をみて微笑むと、いたずらっ子のように僕を写真に撮った。どう見ても嬉しくなさそうな顔をしてしまった。

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***

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サン・マルコ広場に着いたものの、僕らは特にすることがなかった。中の教会に入りたいとは思わなかったし、この近辺は高い店が多いので気をつけたほうがいい、と寝台車で出会った夫婦が言っていたのを思い出した。空は果てしなく青く、太陽が燦々と照りつけて、石畳を熱くしていた。目が痛い。誰かが上空からこの石畳や黄金色の海に向かって、雪を振りまいてくれたら綺麗だろうな、と僕は思った。光をできるだけ避けながら海の方に近寄っていった。黒いゴンドラがたくさん停泊しているところで、英語を話す女の子に2人の写真を撮ってもらった。それが、今回の旅行で撮った、初めての二人の写真だった。

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これからどうしようか。自然に僕たち二人が同じことを考えていた。ここでごはんを食べるのか、船の24時間券を買ってムラーノ島へと向かうのか、それとも値段の高いこのあたりを避けて、違うところで食事をするのか。僕はガイドブックを開いた。ここから東に向かって海岸に沿っていくと、何か食べるところがありそうだ。二人はその方向を目指して再び歩き始めた。僕の体は熱いのに、腹だけが冷えているのを感じていた。痛いというほどではなかったが、腹部を暖めようとTシャツ越しに何度か手を当てた。モモちゃんはそれを見て何度か大丈夫、と聞いてくれたが、しばらく歩いていると、彼女がこう付け足した。

「あんまり、大丈夫、大丈夫って聞かれて余計しんどなんねやったら、私はもう何もいわへんけど、気にはかけてるからしんどなったら言うてな」

この人は僕のことがよくわかっている。心配してくれるのは嬉しいけど、あんまり大丈夫、大丈夫と聞かれると逆に疲れてくることもある。スポーツ選手をそっと見守る応援の仕方があるように、何も言わないで少し気にかけてくれている程度の時があってもいい。何事も気を張りすぎるのはよくない。心臓だって伸縮を繰り返して生きている。僕はそのことばを聞いて、今までの警戒心が緩み、少し明るい気持ちになった。

海沿いを歩いているはずが、道が続いていなくて、どんどん町の内部に押しやられている。僕らはガイドブックを見ながら、北東の方にある港を目指した。本によると、その近くに「エノテカ・ボルドリン」という変わった名前のワインバーがあり、値段も安そうなことがわかった。僕らの旅行の楽しみの一つはとにかくおいしいものを食べることだったので、二人の目的地はいつの間にか「エノテカボルドリン」になっていた。

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サン・マルコ広場を出てからというもの、商店が立ち並ぶ道は極端に減り、むしろ静かな建物が立ち並ぶ界隈になった。きっとここらへんに、本当のベネチアがあるのだと思った。奈良の田舎で育った僕にとっては、こちらの方がずっと性にあっていた。東京でもパリでも、空虚な風が僕の中を吹き抜けることがある。途中水のみ場で頭を冷やしながら、僕たちは進んだ。町のあちこちに水の出る小さな蛇口があって、その水は意外に冷たかった。静かな道をしばらく行くと、僕らは海に出た。水上バスの小さい駅が一つあるだけで、そのほかは何もない。穏やかな海だった。2人は日陰に腰掛けて、しばし休憩する。することは海を見ることしかない。僕は今まで見たベネチアの中で、それが一番美しいと思った。

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ベネチアでは白ワインを、フィレンツェでは赤ワインを飲もうと、はじめから決めていた。ベネチアには海があり、新鮮な海産物の宝庫だ。一方フィレンツェはトスカーナ州の中心地。世界的に有名な赤ワイン、キャンティの生産地でもある。僕らは「エノテカ・ボルドリン」に到着すると、すぐにグラスに入った白ワインを一杯ずつ注文した。銘柄はよくわからないけれど、店の女性が勧めてくれたものに従った。大きいグラスの中に冷たい透明の液体が注がれる。それを見ただけで、今までの疲れが一気に吹き飛ぶような気がする。

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このワインバーでは、最初に入り口のカウンターに並んでいる物を見て、気に入ったものを選び、先に会計をしてから席で食べるという仕組みになっている。半セルフサービスというわけだ。店には、並んでいる料理を盛り付けてくれる30代ぐらいの女性と、入り口のテーブルに腰掛けている60ぐらいの店主らしきおじさんがいたが、どちらも気さくな人で、僕の片言のイタリア語にも熱心に耳を傾けてくれる。

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オリーブの実、ドライトマトのオリーブオイル漬け、きのこのソテー、ニョッキのクリームソース、トマトソースのスパゲッティー、白身魚、烏賊のトマト煮込みなどがあったが、僕たちはその中から、オリーブ、きのこのソテー、小えび入りのトマトソースパスタ、それにプチトマトと香草でシンプルに味付けした白身魚のソテーを頼んだ。席に着くと、早速料理の写真を撮る。すると、入り口のテーブルにいた店主のおじさんが僕らに近づいてきて、写真を撮ってあげようと言う。僕らは彼の持つカメラに向かって微笑んだ。おじさんは写真を撮るのが好きらしく、一眼レフを慣れた手つきで持つと、構えてシャッターを押した。隣にいるドイツ人らしき家族が僕らの方をちらちら見ていた。

僕はすっかりいい気分になって、白ワインを空け、2杯目にプロセッコを頼んだ。イタリアのスパークリングワイン、プロセッコは、シャンパーニュよりもフルーティーで、食前酒や軽い食事に向いている気がした。一杯たったの3ユーロ50なので、財布を気にせずに飲むことができた。モモちゃんも一口だけ味見、と横から僕のグラスを奪う。朝食からひたすら歩き続けたので、二人は空腹だった。一気に全ての皿を平らげると、体中の筋肉が緩んだ。午前中に抱いていた警戒心は一気に解き放たれて、店の空気の中で僕はゆらゆらとしていた。

でも、僕らはそんなに悠長に時間を過ごしている暇はなかった。そもそも、ベネチアにいるのが明日の午後までというのも、ずいぶん忙しい旅行だし日本人らしいなと自分でも思う。けれども、せっかくここまできたのだから、知らないベネチアを経験したい。僕は紙ナプキンで口を拭きそれをくしゃくしゃに丸めると、トイレで日焼け止めを塗りなおして帰ってきたモモちゃんに向かって言った。

「さあ、海を渡ろう」


Nanetteちゃんヴァージョン、『酩酊と饒舌のあいだ-Rosso-』はこちらから。
1. 彼の夢
2. 解放と警戒

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by hiramette | 2009-09-03 02:46 | 小旅行