料理にワインに競馬に文学。F氏のフランス滞在期


by hiramette

酩酊と饒舌のあいだ-Bianco- 1. 僕の夢

1.僕の夢 〜Il mio sogno

まだ小さかったころ、家の前の杉並木のあいだを走り抜ける列車の夢をよく見た。鋭い風音をたてながら、それは僕の前を瞬く間に過ぎ去り、また森の中へと消えて行った。列車はあまりにも速くて、どんな形や色をしているのかはっきりわからなかった。残された線路を見ながら、このレールは一体どこまでつながっているんだろう、と胸をときめかせた。家の用水のコンクリートに腰掛けて、一人ぽつんと踏み切りが鳴るのを、そして列車が再び通り過ぎるのを待っていた。何時間も 、長いあいだ。けれどもそうしているうちに、結局また僕は目覚めてしまうのだった。現実のこの場所は、線路も踏み切りも駅も列車もない、しずかな谷だった。寝惚け眼にうつる窓の外の杉を眺めながら、夢の続きが見られなかったことを僕は悔んだ。

鉄道のドアが閉まる音、走っているときにレールと車両が触れ合って軋む音、それに車掌さんのアナウンスが好きだった。全ての音を口で真似て列車に揺られている気分になった。プシュードルルルバッタン。ゴーホー。シュウウウウウウ、ガタン、ガタアン、ガターン、ガタゴトッガタン、ガタゴトッガタン、この電車はあべの橋行きの急行です、次は大阿太、大阿太です。近鉄吉野線の駅名を全て暗唱して母や双子の兄に聞かせた。皆が目的地に行くにはどこで乗り換えればいいのか聞いてきた。橿原神宮前は、八木、天理、西大寺、奈良、京都、伊勢、名古屋方面に行くのに乗り換えやよ。車掌さんが車内で使うのと同じ言葉で、僕は得意げにそう答えたものだった。

小学校4年生のとき、初めて時刻表を買ってもらった。それまでは専ら近鉄ファンだったけど、その全国版の時刻表を見るようになってから、国鉄ファンになった。
0000と数字が並んでいたら、それは午前零時のこと。1528は午後3時28分。僕はすぐに時刻表の使い方を覚えた。夕食を終え、風呂から出ると時刻表を読んだ。電車が始発の駅から終着駅に到着するまで、4桁の数字を縦に人差し指でなぞっていった。僕は毎晩旅をしていた。列車が通っていく様々な都市、それらを結ぶ列車が走る音を想像しながら。時には社会の教師をしていた父親の部屋から地図帳を持ってきて、それを眺めながら眠りについた。

 僕を最も魅了したのがブルートレインだった。時刻表を読んでいたのは夜だったから、今走っているというリアルな想像を掻き立ててくれたのだ。午後10時過ぎ、僕は布団の中で寝台特急「さくら」が今どこを走っているのか探す。東海道本線の浜松から米原までの欄だ。夕方東京をでた「さくら」は今、豊橋の近くを走っている。これから、名古屋、米原、京都、新大阪を通って、長崎へと向かう。時刻表には、A寝台にB寝台、個室、ロビーや食堂車が連結されていることが記号で記されている。ナイフとフォークが交差するマークが食堂車。僕は小さい頭の中でハンバーグの匂いや味を想像した。出てくるのはいつも隣町にあった一番高級な洋食レストラン「さくら」のハンバーグだった。

「将来の夢は電車の運転手」と何歳まで言っていたのだろう。いつしか僕はその夢を忘れてしまった。単純に中学に通い、理由もなく高校を卒業して上京した。入学したのは文学部フランス文学科。電車の運転手とはかけ離れた現実だったけど、それでも鉄道はずっと好きだった。故郷が恋しくなると、大学のキャンパスの近くを走る新幹線を見に行った。続く線路、数分毎に流れるように走る車体。レールがが京都や大阪までつながっていると思うと、少し励まされた。線路を見るだけで、紛れもなくここと日本の各地が繋がっていることを確認できた。

奈良を出て東京に住んで、仙台で暮らし、そしてパリに来た。あちこちを転々としているくせに、結局、僕は独りでいるのが苦手だった。双子の兄といつも一緒だったからだろう。いつも比較されて時には嫌な思いもしたけれど、二人でいるのが当たり前だった。人は一人で生まれ、一人で死んでいくのに、僕たちは二人で生まれ、きっと一人ずつ死んでいく。そんな行く末を漠然と想像して陰鬱になることもある。鉄道とレールがくっついているように、僕を支えどこかに導いてくれるものが欲しい。そんなことを時折考えてはまた忘れ、時間だけが単純に過ぎていった。

***

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僕は今、ベルシー駅に停車している寝台車に座っている。モモちゃんは始めての国際列車に戸惑いを見せながら、となりに腰掛けた。ここパリを出て、青いベネチアへと向かう8月最後の1週間。9月からはまた博士論文に向けての、曇りがちで現実的な生活が始まる。数日のあいだだけ外に出て自由に飛ぶことができるセミみたい。それならせめて、いろんなところへ行きたい。

「寝台特急ユーロナイト」を見たときから、僕は興奮を隠せなかった。2人は1番前の95号車向けて真っ直ぐに歩き続ける。右手には深夜車内で飲むハイネケンを2缶と、コートデュローヌの小さい赤ワインを1瓶。左手には2人の着替えやモモちゃんの化粧品や日焼け止めがいっぱい入った、赤いスーツケース。簡易寝台車「クシェット」、個室、コンパートメントと、形や色の異なる車両にちらちら目をやりながら、僕はモモちゃんの前を歩く。

旅行前のこのひと時が好きだ。文化祭前日のような胸の高鳴り。これから何が起こるのか想像するだけでも楽しい。大したことなど起こらなくてもいい。想像することが、もう旅の一部なのだから。大好きな寝台列車で、海の都に向かうのだ。それだけで僕はうれしい。

過去おなじ列車でベネチアに行ったことがある。大学4年生のときの双子の兄との卒業旅行だった。あの時は2人で鶏のロースト1羽と、長いバゲット1本と、缶ビールをたくさん買い込んで、列車に乗り込んだ。とにかくおなかが空いていて骨の先まで鶏ををかじった。あの時はパリ・リヨン駅始発だったから、もっとにぎやかだった気がする。でも、夜に列車に乗り込むこの独特の雰囲気は今でもやっぱり変わらない。

本当は飛行機でも行けたのに、僕はモモちゃんに列車で行こうと促した。ロマンチックな旅情を説明しただけでは納得してくれないと思ったので、他のメリットも強調した。朝に到着するから一日を有効に使えること、町の中心地に着くこと。うるさて眠られへんだらどうしよとか、他の人が乗ってきたらどないすんの落ち着かへんやんとか、そういうことをできるだけ彼女が口にする前に、列車でベネチアに行く利便性を淡々と説明した。人を説得したいとき、きまって饒舌になる癖がある。僕のわがままだということはわかっていたけど、鉄道で旅行することは僕にとって結構重要だった。車窓に流れる夜の光を眺めることができたら、小さなころに見た夢がきっと自分のものになる。

食堂車が見えた。カフェテリアもある。金色のネクタイにシャツを着た男が荷物を積み込んでいた。僕の視線は給仕係の動きに釘付けになった。動く列車の中で、食事ができる。小学校3年生のとき一度だけ、ひかり号のビュッフェで、帝国ホテル製の800円のカレーを食べたことがある。値段はよく憶えている。わがままを言って、ずいぶんと高いカレーを母にねだるのに、罪悪感を感じた憶えがある。名古屋から母と姉と双子の兄と初めての東京に向かっていたときのことだった。そのときの匂いと味が口元に微かに蘇った。

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2人で寝台車の客室に腰掛けていた。そろそろおなかすいてきたな、とモモちゃんが言った。僕は食堂車で夕食を食べてみたかった。けれどもその希望を叶えるには、ひと仕事しなければならなかった。説得すること。でも、必ずしも列車でイタリアに向かうことを最良の選択だとは思っていない彼女を説き伏せるのは難しそうだった。何よりもまず、夕食にはおにぎりとひじきの缶詰、それに昼間食べ残したソーセージを持ってきている。モモちゃんの家で炊いた米を、僕がサランラップに包んで握った。食堂車があるなどとは思わなかったのだ。もちろんこれらの食べ物を捨てるのはもったいないし、彼女もそういうだろう。朝にこれを食べようと誘おうか?どういえばいいのかわからないまま、4人用のコンパートメントにいた。

程なくして、フランス人の夫婦が現れた。頭を刈り上げ髭を少し伸ばしたジャン・レノのような風貌の夫と、少し年上に見える妻。アジア人の僕らを見た二人は、フランス語を話せないと思ったのか、特に話しかけることもなく、荷物を荷台に上げた。そして、夫はパソコンを出してDVD鑑賞を始めた。妻は少しその様子を見ていたが、しばらくするとゲーム機をだして、一人でやり始めた。僕らの列車は動き出した。全く別のことを考えている4人が同じコンパートメントにいる。

「食堂車でご飯食べへん?」

こう切り出したのは、出発して10分ほどしてからだった。列車はパリの郊外に出てスピードを上げ始めていた。

「なんで。さっき夕ごはんのおにぎり作ったやん」

モモちゃんは怪訝な顔をして、口早に答えた。その速さについていけずに、焦って返す言葉を捜す。

「いや、まあ、そやねんけど。この電車に食堂車があるとは思わへんでん」

「でもコロちゃん、いつも節約しやなあかんていうやんか。だからこうやっておにぎりもってきたんとちがうん?」

子供のわがままを諭す母親のような口調に、もう言葉が見当たらない。実際、向こうの言っていることが正しい。こちらのささやかな夢を説明するのにスケールの大きい論理なんかない。好きなものは好き、やりたいことはやりたいとしか言えない子供だ。でもやっぱり僕は、どれだけ不味くても食堂車で食べてみたかった。「どんなに不味くても、美味いに決まっている」というのは自分にしかわからない理屈だということをよく知りながら、駄々をこねてみる。

モモちゃんは、僕がこういうときタチの悪い子供になることを良く知っている。小さいころの通信簿欄に「この子は屁理屈が多い子です」と書かれたことは、既にもう何度か話した。今ではむしろ、そのことを知っているから許してもらえるのではないかと、こちらが多少期待している節がある。

「ほんならわかったよ。食堂車に食べにいこ」

決して納得はしてへんで、という含みを残しつつ、割り切った口調でモモちゃんがそう言った。でも、そんな風に割り切られると、僕は逆に自分がわがままを言って人を振り回しているだけのような気になってくる。「わがままを言いました」というレッテルを貼られてそれがこれから先、ずいぶん剥がれないような気もして不安になる。こうして、数分前まで頑なに主張したことを急に撤回したくなる。相手が譲歩すると、自分も譲歩して希望なんてなかったことにしたくなる性分。結局僕は、希望が実現しなくてもよくて、ただ単にわがままを聞いてもらえることを確認したいだけなのかもしれない。でも、要するに甘えているのです、とは今更言えない。

「やっぱりええわ。おにぎり食べとこ」

結局そう言った。

「そんなんいらんよ。せっかくイタリアにいくのに、そのはじめで旅行の印象わるなったらいらんやん。だから、もう食堂車でごはん食べる」

モモちゃんに強く言われると、希望が叶っているほうのこちらは返す言葉がない。2人は立ち上がると、食堂車に向けて歩き出した。列車の揺れのせいか、二人の足取りは不安定だった。

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3つほど車両を移動すると、レストランと売店が一緒になっている車両についた。食堂車はオレンジとワインレッドのテーブルクロスで、明るいイメージを与えてくれる。思ったよりも多くの人が食事をしていて、席はほとんどうまっている。その前を一度通り過ぎて、売店の様子を覗いてみた。ポテトチップス、ヨーグルト、フルーツ、チョコレート、サンドイッチ、ビールのほかにイタリアンワインのハーフボトルも置いてある。さっき急いで売店でフランスワインを買ったことを少し後悔した。

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食堂車のメニューを見ると、夜のコースは28ユーロだった。あるテーブルのカップルは、スパイスのかかった魚を食べていた。きっと冷凍の魚に違いない。何の魚かわからないけれど、少し薄黒い色をしていた。僕は、動く景色の中で暖かいものを食べられるというだけで、それがどんな味であれ贔屓したくなるが、さすがに良質とは言いがたい食事に、高額を払うのは躊躇われた。モモちゃんをそれに付き合わせるのはもっと躊躇われた。所詮貧乏学生なのだから、そんなことにお金を使っても罪悪感が増すだけだ。僕は、やっぱりいいよ、とだけモモちゃんに言い、来た道を折り返した。

客室に戻ると、同室の夫婦がベッドを準備していた。といっても女性のベッドの方だけで、片側はまだ座席のままだ。まだ夜の11時だけど、もう眠りにつくのか、と思ったとき、男性がフランス語で話しかけてきた。

「ちょっとこれから、コーヒーを飲みに売店の方に行きたいんだけど、荷物を見ててくれますか」

「いいですよ」

と僕がフランス語で答える。

「フランス語、話せるんですか」

彼がまた僕に聞いてきた。

「はい、パリに住んでるんです」

ああそう、なんだそりゃ良かった、と髭を生やした40過ぎの男の人は軽く笑った。向かいにいた奥さんも僕たちを見て微笑んだ。彼は、僕とモモちゃんを交互にみて尋ねた。

「あなた方もベネチアに行くんですか?」

「はい」

「初めて?」

「いや、僕は行ったことあります。でも彼女は初めてです」

「そりゃいい。ベネチアは恋人たちの街だからね」

「はあ」

そのあと、奥さんも混じって4人で話をした。彼らが結婚して20年になるのを記念にベネチアへ向かうこと、去年は4日しかいられなかったけど、今年はリド島のホテルに2週間滞在すること、ベネチアの交通手段として使うヴァポリトという船や、街の様子のこと。近くのムラーノ島やブラーノ島のこと。

「ベネチアには何日いるんですか?」

奥さんの方が僕たちに聞いてきた。僕とモモちゃんが顔を見合わせる。どちらが答えようというためらいの中、タイミングを見計らって僕が答える。

「ベネチアは2日だけなんです。そのあとフィレンツェに行くんです」

「フィレンツェか。そりゃいいわね」

奥さんが本当に行きたそうに微笑んだ。フランス人はこういう時日本人のように体裁をとりつくろうために、にこやかに振舞うことはない。僕はフランス人のそんなところが好きだ。モモちゃんもその答えを聞いて、にっこり頷いた。そもそもベネチア・フィレンツェの旅のうちベネチアはモモちゃんにとっておまけのようなもののようだった。旅を計画しているときから、いっぺんフィレンツェのドゥオーモに登ってみたい、と言っていた。ベネチアとフィレンツェに行くって言うたら、みんなベネチアはええとこやでって言うねんで。フィレンツェびいきのモモちゃんがそのとき見せた、多少不満げな顔を思い出した。

僕らは二段式ベッドの上段に登った。モモちゃんは化粧を落として、僕は読みかけの小説を開いた。コートデュローヌの赤ワインをたまに飲みながら、僕はこの列車の揺れを楽しんだ。少しほろ酔い気分になったけど、今どのあたりを走っているのだろうとを考えていると、なかなか寝付けなかった。頭の中にある時刻表と外の景色が気になった。このレールはベネチアまで繋がっている。

僕は下の方で寝転がっている旦那さんをちらっと見て、「恋人たちの街」というさっきの言葉を思い出した。同じコンパートメントでそれぞれ全く別のことをしていた夫婦が、そんな表現を使ったのはなんだか不釣合いな気がした。愛し合っているというイメージのない二人が「恋人たちの街」に向かおうとしているのも、なんだか不思議だ。長年連れ添うと無関心になったり、不干渉になったりするものなのだろうか。あるいは、彼らは恋人に戻るために、お互いへの関心を取り戻すために、この寝台列車に乗っているのだろうか。列車の揺れに身を任せながら、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。

***

翌朝、目覚めると窓の隙間から光が差し込んでいた。快晴だ。イタリア初日に理想的な太陽だ。僕は結局、興奮してあまり眠ることが出来なかった。読みかけの小説も一冊読み終えてしまった。昨晩暗い部屋の中、向かいのベッドで眠っているモモちゃんの寝顔を時々見た。動くことも表情を変えることもなく、静かな顔をしていた。決して寝苦しそうではなかった。こいつ、意外としっかり寝とるやないか、と突っ込みながら、僕は胸を撫で下ろしたのだった。

僕らは朝食をとることにした。せっかくだから、もう一度食堂車のほうに行ってみようよ、コーヒー買うだけでも。という僕の誘いにモモちゃんも同意してくれた。また揺れる車両のなかを僕たちは歩いた。

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食堂車につくと、朝ごはんをここで食べようということになった。9ユーロ50サンチーム。普通の朝食にしてはかなり高めだけど、車窓の風景を眺めながらパンを食べられる。僕の小さな夢は叶った。パンとラスク、ヨーグルト、蜂蜜、ジャム、パイナップルジュースにコーヒーが運ばれてきた。モモちゃんは写真を撮っていた。僕の後ろにかわいい男の子がいると言った。きれいな男の子やな、なんか少年のときのプルーストとおばあちゃんみたいやな。そういうと、カメラを手にして何度かシャッターを切った。僕も振り返って、その少年とおばあちゃんをみた。時折、少年の髪に陽光が当たって、金色に輝いた。

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昨日豪華に見えたテーブルクロスも、座ってみると布製ではなくナプキンのような質の紙でできていたことに気がついた。パンもヨーグルトもコーヒーも特別おいしいわけではなかったが蜂蜜と、冷えたパイナップルジュースはおいしかった。自分のことよりもモモちゃんがこの朝食を気に入ってくれているかどうかが気がかりだったから、僕はいろいろと彼女に話しかけた。寝台列車に対して悪い印象を持ってもらいたくなかったのだ。それに、僕自身がもつ食堂車のイメージも打ち壊したくはなかった。夜、小さい明かりの中で抱いた小さな夢が、今現実の太陽によって打ち消されてしまいそうで、なんだか心もとなかった。だから、このパンあんまりおいしないね、とは決して言ってはならない気がした。

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モモちゃんがヨーグルトをこぼした。といってもそれは列車の揺れのせいではなかった。彼女も多少寝ぼけていて、不注意だったようだ。ああ、せっかく新しいかわいい服やのに、汚れてしもた、腰のあたりを見ながら彼女はそういった。批判する相手もいないので、自分を責めているようだった。行き場のない苛立ちを覚えたときによくする顔だ。昨夜食堂車に行きたがる僕を諭したときは、あんなに落ち着いていたのに、モモちゃんは焦ると急に子供のようになる。僕は食堂車に連れてきたことを、少し申し訳なく思った。彼女は、服洗ってくる、と言って席を立った。僕は一人でコーヒーを飲んでいたけど、しばらくしてすぐ近くで奇声が聞こえてきた。若い母親が、小学生ぐらいの息子のいたずらのせいで車両端の扉に挟まれて、運んでいた熱いコーヒーを大量にこぼしてしまったのだ。母親は、顔をゆがめて息子を叱った。息子はべそをかいて俯いた。黒い液体で汚された両手は、細かく震えていた。僕は目のやり場に困って、外に広がるイタリアの田園風景をみた。

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午前9時過ぎ、ベネチア・メストレ駅を出た「寝台特急ユーロナイト」は終着駅ベネチア・サンタルチア駅に向かって海の中を走っていた。同室した夫婦の旦那さんのほうが、デジタルカメラを取り出して、その風景を写真に撮った。昨日の夜の会話で「友達から、朝のベネチアに向かう列車の中から見える海の写真は絶対に撮った方がいいよって言われてるんだ」と僕たちに話したことを思い出した。両面に広がる海。旅行の幕開けにふさわしい景色。穏やかな海に太陽が反射して輝いている。今日は一日熱くなりそうだ。

「写真とってよ」

意外と服が早く乾いて機嫌を取り戻していたモモちゃんが微笑んだ。僕はすぐに一眼レフを取り出した。モモちゃんが最近帰国した際、京都で買ってきたものだ。普段は、モモちゃんが写真を撮るけど、彼女が写るときだけ、カメラは僕のものなる。ポートレート一枚撮りのフラッシュなし、肌色きれいモード。もう手馴れたものだ。

僕はカメラをかまえると、アングルを確かめながら、窓際に立った彼女に向かってシャッターを切った。自然な顔を撮りたかったので、カメラのほうを向くのではなく、窓の外に広がる海を見るように頼んだ。乗客は皆窓際に出てきて、広がる海やその上に浮かぶ船を見ながら興奮気味に話をしている。車内アナウンスが流れる。列車が終着駅に向けて速度を落とし始めた。僕はあわててシャッターを切り続ける。そのとき、ふと、ももちゃんが窓際に向かって、なにか話しかけたような気がした。口元が微かに動いたのだ。けれども、それは列車の騒音と、車掌の声と、乗客の声と、僕の耳元で鳴るシャッター音にすぐに掻き消されてしまった。

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Nanetteちゃんヴァージョン、『酩酊と饒舌のあいだ-Rosso-』はこちらから。
1. 彼の夢
2. 解放と警戒

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by hiramette | 2009-09-03 02:07 | 小旅行