料理にワインに競馬に文学。F氏のフランス滞在期


by hiramette

一人じゃない―ゴールディコヴァのともだち―


フランスのG1やG2のレースでは、本命馬のレース展開が有利になるように、同じ厩舎からペースメーカーの馬を出すことがあります。役割は、あくまで本命の馬が、スムーズなレース運びができるように手助けすることです。馬券も、このペースメーカーと本命馬はセットで扱われ、厩舎を意味するécurieの頭文字を取ったEマークでオッズ画面に表示されます。単勝の馬券を買った場合、このEマークのついたどの馬が勝っても当たりです。この方式はフランス特有だと思います。

僕がフランスで出会った馬の中で、最も感動を与えてくれた馬のうちの一頭がゴールディコヴァです。彼女は、今フランスで現役の牝馬で、マイラー(1600メートルを走る馬)の中ではナンバーワンです。今日は彼女と、彼女のお友達のおはなし。

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ゴールディコヴァは2007年の秋に、シャンティーの新馬戦でデビューして勝ち、昇級戦のBレースでも勝って、2歳時のレースを終えました。翌年4月、ロンシャン競馬開幕と共に再びBレースに出ると、鞭を使わずに2着。当日僕は生でレースを見ましたが、重目の馬場だったし、年明け第一戦だったので、無理をしなかったようでした。この後、5月11日に行われた、プール・エッセイ・デ・プリッシュ(フランス1000ギニー)に向かいました。

ところが去年は、運悪く怪物ザルカヴァの年だったのです。先行して好位から直線で粘るものの、次元の違う瞬発力で突風のごとく追い込んでくるザルカヴァには敵いませんでした。仏1000ギニーを2着、仏オークス(ディアーヌ賞)は3着。いずれも勝ったのはザルカヴァでした。僕は、ゴールディコヴァの適正距離、それに走り方や小さ目の体格が、日本で大好きだったラインクラフトに似ているように思えて、好きになりました。もちろん、鞍上がオリビエだということもあります。

ディアーヌ賞は前のほうでほんとによく粘っていました。と同時に2100メートルは彼女には長すぎる印象を受けました。実際、フレディ・エッド調教師も2100を限界と見たようで、彼女をマイル路線に戻しました。

2008年7月6日、ゴールディコヴァは1600メートル直線、3歳牝馬限定のG3クロエ賞に出走するために、メゾンラフイットのパドックにいました。でも一頭で勝負に出たわけではありませんでした。彼女には仲間がいたのです。名前はパ・スール(pas seule)ちゃん。日本語にすると「一人じゃない」。調教師はゴールディコヴァちゃんと同じヘッドさん。馬主さんも同じでヴェルテメールさんです。この子は地方の競馬場で小さい賞に一回勝っただけで、その後伸び悩んでいました。

僕は並んで周回している2頭をみて、何か微笑ましくて笑ってしまいました。中学生の女の子が引っ込み思案なので、友達と一緒に模擬試験を受けにきたような映像を思い浮かべていました。パ・スールちゃんの鞍上は日本でも知られているダビー・ボニヤ騎手。オリビエとボニヤ騎手は、馬がターフに出ると並んでゆっくりスタート地点へと向かいました。

このレースを見ていたときは、緊張しました。力があるのに未だ、重賞未勝利のゴールディコヴァにどうしても勝ってもらいたかったからです。ところが、レースは意外にあっけなく終わりました。ペースメーカーであるパ・スールがスタートから飛ばして先頭につくと、ゴールディコヴァはその背後に陣取り、風をよけるようにして2、3番手で進んでいきます。残り400メートルを切ったとき、オリビエがゴーサインを出すと、ゴールディコヴァはぐんぐん伸び、2着トップ・トスに3馬身差をつけて快勝しました。トップトスちゃんはG3を制した馬です。ゴールディコヴァの真価が証明された日でした。空は真っ青で、黄金色の光が大地に、そして2頭の牝馬に降り注いでいました。暑い夏が始まろうとしていました。

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8月3日日曜日、ドーヴィル競馬場で行われる、牝馬限定直線1600メートルのG1 ロートシルト賞(旧アスタルテ賞)の出馬表に、ゴールディコヴァの名前がありました。僕はクロエ賞の後すぐに、鉄道の切符を買って日帰り往復するちょっと忙しい小旅行を計画して、パリから2時間かけて競馬場に来ていました。このレースは3歳牝馬と古馬との初直接対決です。前回を上回る強敵が2頭いました。そのうち一頭はスミヨン騎乗の4歳ダルジナ。前年のフランス1000ギニーを制した名牝です。もう一頭はルメール騎乗の芦毛の3歳ナタゴラ。牝馬にもかかわらず、仏ダービーに出して3着になりました。

この日はパ・スールちゃんはお休み。代わりにスプリング・タッチちゃんという子がペースメーカー役を勤めました。ゴールディコヴァは少し雨が降り柔らかくなった芝生の上を、爽快に駆け抜けダルジナに2分の1馬身差でゴール。ついに待望のG1を手にし、自らの強さを証明しました。当日のオリビエは絶好調。一人で行ったドーヴィルでしたが、大満足で帰りました。

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こうなれば、もはやG1戦線を突き進むほかに道は残されていませんでした。こうしてゴールディコヴァは9月7日のロンシャンのマイル、ムーランドロンシャン賞を目指して調整されました。

当日は日仏150周年記念賞という特別賞が会った日で、日仏両国の競馬交流賞を受賞するにふさわしいルメール騎手が見事勝利しました。日本から駆けつけたGさんと共に横断幕を出して勝利を祝したのは、本当にいい思い出になりました。でも、僕は日本で最初に知られるようになったフランス人ジョッキー、オリビエになんとしてもこの日勝ってもらいたいと思っていました。

この日のゴールディコヴァにはたくさんの仲間がいました。鞍上のオリビエ、ペースメーカーとして出るパ・スール、ずっと応援してきた僕や日本人の方々、それに競馬を愛するフランス人の人に推されて、1番人気になっていたのです。みんなが彼女の走りに賭けていました。信じる力が頂点に達した最後の直線、ヘンリー・ザ・ナビゲータをものともせず、迫りくるダルジナの猛攻を振り切って、ゴールディコヴァはフランスの、いやヨーロッパのマイルチャンピオンに君臨したのでした。勝ったオリビエを大声で祝福すると、「大丈夫ネ」と微笑みました。翌日の新聞を読むと、「この子はペースメーカーがいるほうがすっとよく走ってくれる」とオリビエがコメントしていたのが印象的でした。

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10月25日のブリーダーズカップ・マイルの夜、中華街のPMUカフェのテレビ画面の中を1着で駆け抜けた美しい馬は、もう小さい牝馬のゴールディコヴァではありませんでした。僕は安心すると言うより、驚嘆し、歓喜し興奮して、日本語で何かよくわからない言葉を叫んでいました。

今年に入り、4歳になったゴールディコヴァ。復帰戦のイスパーン賞はまだ万全でなかったのか7着に敗れましたが、先日7月8日のイギリス、ニューマーケットで行われた牝馬限定のファルマスステークスでは1着。強い、僕らの大好きなゴールディコヴァが戻ってきました。実はこのレースの前日、ゴールディコヴァのお父さんである種牡馬アナバが突然死にました。勝利の翌日「父アナバにオマージュを捧げたゴールディコヴァ」と新聞は書きたてました。きっとゴールディコヴァは父に会ったこともないだろうし、顔も覚えてないだろうに、お父さんのために勝ったといわれると、なんだか不思議な感じがしました。人はこうして父仔の物語を作り、感動したりするものだけど、本当は幼少のころ母の元を離れると馬はたった一頭で、厳しい競馬の世界で勝ち抜いていかねばならないのです。

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2週間後の8月2日はロートシルト賞。ゴールディコヴァはディフェンディング・チャンピオンです。登録リストを見るとエリュージブウェーブなど、3歳牝馬のエリートが顔を並べています。でも、その中にゴールディコヴァのともだちもいました。
Pas seuleです。

二人のチームワークは、きっと今年も多くの人々を感動させてくれるに違いありません。僕も微力ながら、この2頭を応援し続けたいと思っています。

穢れのない力で

どこまでも駆けろ

ゴールディコヴァ

きっと君は一人じゃない


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by hiramette | 2009-07-22 21:39 | 競馬