料理にワインに競馬に文学。F氏のフランス滞在期


by hiramette

パドックの人びと①


競馬場にいる人の数だけ、様々な人間模様があります。

一頭の馬を見る目の裏側には、一人の人間の人生があります。パドックは、馬を見るために作った円形の下見所ですが、それは逆に馬たちが人間を見る場所でもあります。

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フランス語でパドックのことをrond de présentation「ロン・ド・プレザンタシオン」と言います。rond は「円、輪」を意味し、présentationは「紹介、展示」などの意味があります。フランス語では「これから出走する馬を紹介する場所」という意味が、はっきりとことばの中に表れています。

今日は、僕もこれに倣いつつパドックの内側から、フランスの競馬場に集う人々を紹介していきたいと思います。そして、馬の視点から、パドックで馬を見る人々のそれぞれの物語を、円形の展覧会場にある絵画を見るように、少しずつ眺めてみたいと思います。

ここは、いわば「人間を見るパドック」です。これから登場する人々は、みんな実在の人です。無論名前は出しませんが、フランスでこれらの人たちに出会えたことを本当に感謝しているし、いつも競馬場で彼らに会うのを楽しみにしています。

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①震える右手

Fには右手の人差し指と中指がありません。若いころ体力に任せて、夜もろくに眠らずに仕事を続けていたある日、機械にはさまれて指を二本失いました。彼は当たった馬券を僕にいつも自慢げに右手に取って見せますが、その手が震えているのは興奮しているからではなく、手が半分麻痺してしまっているからです。

彼は、元フランスの植民地であったアルジェリアの海辺で生まれ育ちました。好物はレモンを思い切り絞って食べる鰯の塩焼きで、そのおいしさを僕に自慢しながらパリの魚の不味さをいつも愚痴って聞かせます。口癖は「騎手が勝つんじゃない。馬が勝つんだ」

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現在60代半ば。1960年代当時の他のアルジェリアの青年があこがれたように、彼もまた「豊かな国」を目指し、そしてここパリでフランス人が嫌うような職業に就き、低賃金の労働者として一生懸命働きました。彼は、こちらが頼んでもいないのに、よく僕に若いころの自分の写真を見せます。そして、どうだいい男だっただろ、と自慢します。実際、白黒写真に写った彼の顔はかなりの男前です。

仲良くなったきっかけは、日本人である僕が単に彼にとって都合がいいからなのだと思います。日本人の女性が大好きで、60を過ぎても本気で愛人を探しているのです。日本人は優しいから、と言います。

「いや、そりゃ人当たりはいいし、フランス人の女の人みたいにヒステリックじゃないけどね、それは日本的な礼儀や、ことを荒立てたくないっていうメンタリティーからくるもので、心の中でどう考えてるかはまた別の話だよ」

僕は笑いながらそういうのだけれど、彼は日本人女性は優しいというのをずっと信じ続けています。

一度結婚もして子供もいたのに、離婚して子供も独立したから、今は一匹の老犬との生活です。寂しいのか、単に女好きなのか、競馬場で旅行者の日本人の女性を見るたび、話しかけて仲良くなろうとします。でも日本語や英語を話せるわけではないし、いつも決まってその女性に近づきすぎるので、最初は親切にされても数日で嫌われて戻ってきます。それでも懲りることはありません。僕に携帯電話をよこして、録音された日本人の女の人のメッセージを日本語に訳せといいます。大抵彼には伝えにくい冷たい挨拶か、単なる留守番電話の女性の声です。

買う馬券は、ほとんど勝利が確実とされる本命馬。たまに穴馬に手を出して、大損したとみんなに愚痴をこぼします。好きなレースはトロ(速歩)。パリの東の郊外のヴァンセンヌ競馬場によく行っているようです。僕はトロは一切見ないのでよくわかりませんが、ターフを駆ける平地や障害よりも細かいルールが多く、配当は低いけどより確実に当たるからいい、と彼は言います。

人生は何が起こるかわからないけど、できるだけ確実なものがいい。様々な別れを経験した後に一人で暮らす男が、小さくてもより確実な幸福を求める気持ちは、わからなないでもありません。

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彼は数年前、本当に日本人の20代の女性と付き合っていたそうです。「歌手のジョニー・アリデーのように年の差カップルだったんだ」と自慢します。しかし、自分の金を貸して使い込まれた挙句、その女性は姿をくらまし、今ではフランスにいるのか日本に帰ったのかもわからないそうです。悪い人に利用されたようです。

「フランスの競馬場に、日本人の彼女を連れて行ったのは俺だけだ」

彼はいつも、そのことを人生でいちばん自慢できることであるかのように、僕に言います。けれども、いつか一度だけ、競馬が終わってから一緒にバルベスに、彼の国の郷土料理のクスクスを食べに行ったときのことでした。彼は食後、安酒場で酔っ払い、笑いながら財布から小さな紙切れを出して、いつもの震えた手でそれを僕に見せました。

「私はあなたに350ユーロの借金があります。お金が入り次第、あなたに返すことを誓います」

それは、付き合っていた日本人の女性が間違いだらけのフランス語で書きなぐった、誓約書とも呼べないような、くしゃくしゃの紙切れでした。そんな紙切れで、彼女を繋ぎとめられるわけでもありませんでした。彼はそれを一瞬真剣に見つめてから、また自嘲気味に笑い、僕の目の前でそれを破きました。

「3年も前のことだから。もういいんだ、終わった事だから」

そう言った途端、いつも騎手や調教師、それに僕に言うような自信たっぷりの口調が、急に消えたのを覚えています。

最近、彼の犬が死んだそうです。競馬場につれてきているのを何度か見ましたが、老犬はよだれを垂らして元気がなく、もう長くないだろうと思っていました。こうして彼は本当に一人になりました。もともと社交的な人ではないから、こちらが「今日は一杯飲みに行こうよ」と誘わない限り必ず一人で帰ります。

けれども、いつも競馬場で僕を見つけるたび、頼んでもいないのに缶ビールを僕に奢ってくれます。彼もまた、たった一人ぼっちで生きなくてすむように、競馬場に残した様々な思い出を探しに来ているいる一人なのだと思います。

いつか、オリビエが負け続けているとき、僕を励まそうと思ったのか、馬券は買わないって言っているのに、オリビエ・ペリエ騎手が乗る馬の複賞2ユーロをプレゼントしてくれたのを良く覚えています。

「勝ったら気分転換になって、調子よくなるだろうから、まあ取っとけ。」

そう言うと、恥ずかしそうに少し笑みを浮かべて、彼は競馬場のカフェの方へと消えていきました。複賞馬券(3着までなら当たり)なのが彼らしいなと思いました。

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by hiramette | 2009-07-14 21:41 | 競馬